2009年3月28日 (土)

ユリイカ 特集 諸星大二郎

雑誌ユリイカ、いったいいま何千部が配本さえているんしょうか、私自陣多分20年ぶりくらいに買いました。なんたって雑誌タイトルのサブキャッチが「詩と批評」ですからね。ほぼ死語の世界です。30年前ならたまに親父の詩が載ることも有ったように思いますが、それでも当時からブッキッシュというか、ペダンチックな編集でしたね。
何で久々に買ったにかというと、大好きな漫画家の諸星大二郎特集で、諸星さんへのインタビューが掲載されていたからです。実は長野は生まれただけでほとんど荒川沿い育ちだとか、初期短編(正直言ってつまらないですけど)もあり楽しめました。
 反面、巌谷国士の「批評」にしても、夏目房之介他の対談にしても、ぬるい。記事(対談)を依頼されたから、こなしてます、というレベル。MBA系ビジネス文書などの訓練など私もちゃんと受けている訳ではないですし、普段の文章もかなりトートロジーやらループっぽくなる私ですら、巌谷さんのピントがぼけた焦点が合わない「文芸批評に典型な書き方」には辟易してしまいました。若い頃は経験値が無いからこっちのリテラシーが低いのだろうと思って無理して読んでいたのですが、50歳にもなると、文芸批評という作文の60年代的(70年代的?9作法というのもののレベルが実は大変低かっただけなのだということが分かってしまった。批評家の勝手な空想や独白で延々升目を埋められても、読むほうは苦痛なんですよね。それにSNS(ソーシャル・ネットワーキング。サービス、MIXIやGREEです)やCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア、まあブログなんかですね9で、そのての独白は溢れ返っているので、お金を出して紙媒体で、つぶやきなんか読みたくないですよ。
 逆に先のコラムで触れた雑誌ストレンジ・デイズもけっこう昔風の編集スタイルだけど、ロック音楽批評は、本人取材(英国人であれ米国人であれメールでも出来ます)による一次資料(ま、証言ですな)などもふんだんに採用され、それを元に解析が加えられているので、昔とはまったく違う次元に達しています。70年代の水上はる子=ミュージック・ライフ式みーちゃんはーちゃん記事か渋谷陽一式素人くさい文芸批評真似たロック批評的マスターベーションしか選択肢が無かったんですけどね。ユリイカはそれら70年代のロック雑誌よりは何倍も高尚でしたが、進化しないまま30年経ったら、化石になってしまったようです。
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俺、南進して 読了

町田康ファンを自認しておきながら「俺、南進して」(1999年)を角川文庫になって初めて読みました。多分フォト小説で値段が高いのと10年前では町田ファン度がまたあまり高くなかったから、新刊時にパスしたのでしょう。ただ文庫版にしても2008年の9月に出ているので、これまた半年遅れ。最近本屋の単行本コーナーも文庫コーナーも、昔風で言う週間小説、つまりミステリや直木賞系列、ケータイ小説、タレント本などばっかり。純文学は日陰もの扱いなので、新刊、文庫本新刊でも平台に並ばないことがあるため見過ごすことも増えそうです。 自分自身でも芥川賞新刊はもうずっと読まないので、確かに直木賞系やミステリ、アクションなど、「定型フォーマットをベースに連作されるノベル」でないと、読む前の抵抗感が大きい過ぎて楽に読めないことは分かりますが。
 さて内容は、句読点の脱関節式の町田節で語られる、自分追跡の悪夢無サンバ。しかも写真家アラーキーとのフォト・コラボ。文庫本は解説が内田春菊なんで、版形が小さい分を補填します。
 アラーキーは私の大学のOBとしては例外的な有名人なんですが、本人は余り語らないし、実は私も昔からこの人の写真が好きじゃない。どろどろとした猥雑さをこれでももかと演出する技法は、人間に対し表面的にしか理解できない私には重すぎるんでしょうね。ただ町田ワールドとの融合はかなりうまくいっているようで、写真が先か、文が先か、混淆状態に仕上がっています。

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今日の名言「パンクはただのファッションだ」(byジョン・ウェットン)

ちょうど日本へ来るためイギリスを出るときテレビを見ていたんだけど、ジョニー・ロットンがバターのコマーシャルに出ていたんだ(中略) どこがアナーキズムなんだ?パンクが出てきても、なにも変わっていない。彼はただのポップ・スターで思想なんかは無いんだ」 (ジョン・ウエットン)
 「パンクっていうのは音楽のジャンルではなくてファッションだと思うよ」(ジェフ・ダウンズ)
 「パンクというのはファッションとか言動のことだからね…あとは唾を吐いたり(笑)」 (ジョン・ウェットン)
 「全部演技さ」(ジェフ・ダウンズ)

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写真上:左がジョン・ウエットン 右がジェフ・ダウンズ

雑誌ストレンジ・デイズ114号インタビューより抜粋

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わははは、思想性ゼロのウェットンおぢさん(左)にしては、しごくまともなことを言っているではないですか。ゼップのジミー・ペイジによる「ビートルズって所詮ポップ・ミュージックで、俺達みたいなロックじゃないからさあ。」(2006年頃プロモーションで来日した際の朝日新聞インタビューより)に並ぶ暴言ですね、いや愉快!

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2009年3月11日 (水)

池上永一「シャングリ・ラ」読了

すでに「テンペスト」の単行本が書店の平台に乗っている時期なんですが、逆に相乗効果での販売のため旧作「シャングリ・ラ」が文庫になったので、はじめて池上永一という人の小説を読みました。
 文庫本の表紙がペ-テル・ブリューゲルの「バベルの塔」で目を引いたのと
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、解説を筒井康隆大先生が書いておられたことから買ってみました。あとで気が付いたのですが、単行本時代は表紙がマックス・エルンストの最高傑作「雨後のヨーロッパ」だった。
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この作者、シュールレアリスムファンなんでしょうか。ただこのときは嫌いなライトノベルごときがエルンストを表紙に使うなぞ、しゃらくさい、と思っていました。
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アマゾンの解説を引用すると「21世紀半ば。熱帯化した東京には巨大積層都市・アトラスがそびえていた。さまざまなものを犠牲に進められるアトラスの建築に秘められた驚愕の謎とは--? まったく新しい東京の未来像を描き出した傑作長編!!

加速する地球温暖化を阻止するため、都市を超高層建造物アトラスへ移して地上を森林化する東京。しかし、そこに生まれたのは理想郷ではなかった!CO2を削減するために、世界は炭素経済へ移行。炭素を吸収削減することで利益を生み出すようになった。一方で、森林化により東京は難民が続出。政府に対する不満が噴き出していた。少年院から戻った反政府ゲリラの総統・北条國子は、格差社会の打破のために立ち上がった。」
 感想を一言で言えば、暇つぶしエンタメとして私としては十分に楽した。
文庫本解説の筒井先生がこの作品の長所であり短所でもある「すべてにおける過剰さ」を指摘されているので、まさにその通りなんですが、いっぽうもともと雑誌『Newtype』に連載されていたらしく、まごう事なきライトノベルである。主人公は女子高生だし、話は「アキラ」の世界観に「ナウシカ」ばり女子高生ヒロインが出てくるし、ロジックが破綻すれば荒俣宏「帝都物語」の怨霊で辻褄を合わせてしまうという、荒唐無稽なストーリー展開。ライトノベルたコミックの世界ではこういうのはお約束として当然なんでしょう。「銀魂」とか「ナルト」のような時代劇とSFがごっちゃになるだけで違和感を覚えてしまうような私らおぢさんには、ここらへんがつらいところ。ただし炭素経済、カーボニストという、ちょっと村上龍ばりの近未来経済小説的な仕掛けがベースになっていることと、あともうひとつ、圧倒的なスピード感には酔えます。稚拙でご都合主義的なストーリテリングとこの疾走感や部分的な先進性を差し引きして「私についていえば、エンタメとして十分楽しめた」と書いた訳です。
 なにかこういう方法論で似ているものが有ったような気がする?と思ったのですが、それはアメリカはFOXのTVドラマ「24」でした。もちろんあっちのほうがデティールにおけるリアリティはすごいのですが、ご都合主義的ストーリー展開(主人公は何度も死にそうになるは、同僚も恋人も次の回には敵になったり等々)を、圧倒的なスピード感で見せ切ってしまう方法論がそっくりなんですね。なんでも09年春にはアニメ化されるらしいので、さもありなん。ですね。
 小説としては筒井康隆先生もご推薦の「テンペスト」文庫化に期待しましょう。

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2009年3月 8日 (日)

吾妻ひでお「地を這う魚」

あじましでお先生の新刊です。あじま先生、生きているのだけでも嬉しいのに新刊も読めるなんてなんと素晴らしいことでしょう。ですからこれ以上のことを望んではいけませんですね。
             
               
 日記シリーズのネタも尽きたというか、「うつうつひでお日記」、「うつうつひでお日記 その後」によれば2005年頃から描き始めたようで、あずま版「まんが道」です。ただしストーリーは大変つまらない。登場人物=北風6人衆が「まんが道」と格が違うんですもん。結局4人はプロになれなかったか既にリタイア。いまだ現役なのは松久由宇さんだけだそうですが、昔から実名が出ていても私はこの人の漫画を読んだことがありません。マイナーですよね。いちばんマイジャー(byいしかわじゅん)なあじま先生にしたって、アル中で蒸発&ホームレスですからねえ。
しかし描き込みの密度はすごいですね。とてもドグマチール、ノリトレン、メレリル、ベンザリン、トリプタノール、ダルメートなどを常用しながら描いているとは思えません。「どど」「ぐずり」などの新キャラクターのほか、魚系、爬虫類系の生物が空間に増殖しています。もしかしたらSF深読みオチがあるのかもしれませんが、ハードSFファンでない私にはどうせ分からないので、ただ絵を楽しみました。登場人物は大半が擬人化ならぬ擬人動物化しています。日記系の本でも触れていた秋田書店の少年チャンピオン <鬼の>壁村編集長はゴリラになっています。一方、これらの丸っこいキャラと「ときめきアリス」系のダークなテイストが混在しているのがいまひとつ中途半端な感じではあります。ああ、いかん、あじま先生の作品は読めるだけで幸せなのに、こんなことを書いたら罰があたってしまいますね。

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2009年2月 8日 (日)

風來喬

風來喬 近所の手打ちそばやです。昔ここは「賀庵」という店でしたが、いい腕、いい味なのに潰れてしまい(接客が最低だったからか?)、居抜きで次のオーナーが始めた店。多分そば粉とつなぎは外一もしくは一九の割合、手挽きと機械挽き両方あり、産地は茨城県とのこと(金砂郷とは書いていませんが)。かなりおいしいです。つゆはあっさり目。土曜の昼に行きましたが、住宅地の中で車でしか来れない悪いロケーションなのに、お客が次々来ました。味がよければ、あとはやはり接客が大事なんでしょうね。

神奈川県 横浜市青葉区美しが丘4丁目19-19-103

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http://gourmet.livedoor.com/restaurant/337004/

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2008年10月23日 (木)

あわせて読もう!「サラリーマン合気道」と「博報堂スタイル」

どちらも広告業界専門書ですけど、異業種の方でも楽に読める本。 付け加えれば幻冬舎にしては良くできた本でもあります。

「サラリーマン合気道」は元博報堂、現在風とロックの箭内さんの本。今はNHKの番組のMCまでやているので、ご存知の方もいるかもしれません。前に箭内さんの話を聞きましたけど、その話がそのまま。とっても共感できました。アマゾンの解説は下記。
アイデアは書き留めない、積極的に緊張するなど、気鋭のクリエイティブディレクターが挫折と失敗から編み出した45の仕事術。自分には個性やこだわりがないという人にこそ役立つ、具体的なアドバイス。
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一方「博報堂スタイル」は、これもまた元博報堂の高橋さんの本。立派に
お仕事をされご卒業なさった世代ですね。
高橋さんの60のアドバイスは、団塊世代の真下でずっと仕事をしてきた私の世代なら良く分かるし、こういう話を酒場でされたら、心に染み入るだろうなあ、と思う一方、成功体験にもとづいた教訓話めいていて鬱陶しいのも事実。

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そこへ行くと箭内さんは、もがいた上で編み出した合気道なので、教条主義でないリアルさ、いまの時代感があり、共感の度合いは比べ物になりませんでした。オンリーワンよりナンバーワン、というのは若い世代にはどう受け止められるかは分かりませんが。

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2008年9月28日 (日)

学校へ歩いてみる

愚息の学校の文化祭があったので、家から歩いてみることにしました。片道約4.5キロメートル。愚息は普段バスを乗りついて通学しています。

地図

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横浜北部は洗濯板のように勾配が激しい地形です。

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お洒落な看板は不動産屋さんの開発物件案内。

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吊橋がありました。

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中学生の展示はまあこんなもの。

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先生バンドが「21世紀少年」にちなんで、T・REXの「20th Century Boy」を演奏しました。

しかし、みなさん、私より10歳近く若いんだから、T・REXはリアル・タイムじゃないでしょう?ちなみに1958年生まれの私は中一のとき、この曲の入っているアルバム「TANKS」を買いました。

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2008年8月21日 (木)

アーティスト症候群 アートと職人、クリエーターと芸能人

「アーティスト症候群 アートと職人、クリエーターと芸能人」 大野左紀子著 明治書院

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A8%E8%81%B7%E4%BA%BA%E3%80%81%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A8%E8%8A%B8%E8%83%BD%E4%BA%BA-%E5%A4%A7%E9%87%8E-%E5%B7%A6%E7%B4%80%E5%AD%90/dp/4625684064/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1219246771&sr=1-1

                 41avaoui62bl_ss500_を読了しました。

 年配に受けの悪い(私も嫌い)「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉に癒されて(=自分を偽って)、努力という自己犠牲をややなおざりにして、「アーティスト」 という、いまやデフレになった肩書きにすがる、ロスジェネの若者たちへの警句の書。本書でも触れているが、三浦展の「下流社会」および村上隆の「芸術家起業論」を読んだ上で本書をお読みになることをおすすめします。

 さて作者は元アーティスト(芸大の彫刻科出身)、現一般人。つまり廃業された方なわけで、その説得力は重い一方、やや恨み節的雰囲気もあります。わたし自身は、父親が芸術家ではあったものの、直木賞作家のような職業芸術家ではなく詩人であったため(それでも詩壇の芥川賞と一部で呼ばれたH氏賞受賞作家ではあった)、正業(副業?)は出版社のサラリーマン編集者であり、母親は一番手に負えない工芸(紅型という沖縄の染物)の技術を下敷きにした自称作家(知り合いだけが個展でおつきあいで買ってくれるという類)だったため、芸術そのものは好きではあったものの、およそ芸術家を目指そうなどとはこれっぽっちも思っていませんでした。芸術家どころか、フリーのデザイナーすら忌避して、企業で禄を食み発注る側を選択した人間ですので、こういう本を読んでも閉塞感にとらわれることは全くありません。それどころかこの手のいわゆる内幕物がアートの世界では無かったため、とても興味深く読めました。村上隆の「芸術家起業論」がプラスのベクトルの内幕物なら、この本はマイナス思考の内幕物、村上さんの本とも併せて読むべきかもしれません。

 もうひとつ筆者にシンパシーを感じるのは同年代だからか。なんせアール・ヴィヴァン、スタジオ200(筆者はスタジオ2000とミスタッチしていますが、正しくは200席の小屋なので200です)、西武美術館という三大噺で来れば、これすべて私の職場である企業がやってたんですから。美術館では、作品としては一番つまらなかったけれど一番刺激にあふれたヨーゼフ・ボイス。美しい美しいドローイングに魅せられたクリストの「アンブレラ・プロジェクト」が懐かしい。アール・ヴィバンではおやじの処女詩集も売ってましたが、一番光っていたのはペヨトル工房のカセット・ブック「夜想」。京都のサイバーファンク・バンドEp-4のガレージコンサートも彼女と行ったし、スタジオ200はオヤジの元同僚で堤清二会長の知り合いである詩人の某氏がキュレーターやってました。当時真黄色な部屋って、あそこしかなかったんじゃないかな。ああ、甘酸っぱい青春。

 さて私が面白かったのは、アーティストという言葉の重さの低下度合い。洋楽のミュージシャンについては1970年代からアーティストというという呼び方を、ミーハーロック雑誌である「ミュージック・ライフ」にて水上はる子とか東郷かおる子がしていたと思いますが、その後、日本のニューミュージック(J-POPのはるか昔の死語)のミュージシャンが自称する段になって私は初めて違和感を覚えました、何をのぼせていやがるんだ、と。それがいまやゲーム・クリエーターに代表される男子クリエーター系の人気も追い越して、「フローラル・アーティスト(ようはホテルの生け花係り)、「ヘア・アーティスト」(美容師でしょ)、メイクアップ・アーティスト(メイクさんだわ)まで拡がっている時代。これに幻想を抱く衆は、マズローの欲求の段階のうち、1生理的欲求 2安全の欲求 3所属愛の欲求 4自我(自尊)の欲求をすっとばして、いいなり5自己実現の欲求に飛び級しちゃいたい人だと決め付けています。あるいは地方出身者でなければ1.2は親抱えなので心配する必要がない層もいるかも。

 結局漢字の芸術家が、クマさんやアラーキーの「ゲージツ家」を経て、「アーティスト」に金利引き下げになった時点で、職人やクリエーターの言葉ではまだ避けて通れない「修練」を無視しても、下流であれ、誰であれ、あこがれを抱くことができる職業っぽいイメージ上の言葉なんでしょう。下層階級がはいあがってスーパースターになるのは、アメリカの大リーガー、バスケ、ラップミュージシャン、日本でもボクサーなんかが典型ですが、スポーツって誰がどう考えても「才能+超絶的な修練」が必要だと分かっているのが、今の日本のデフレ「アーティスト」と違うところでしょう。

 最後に、私がこの本を読んでもちっとも暗くならないのは、当然のことながらすでに青春期をとっくに過ぎ、これから一生の職業を選択しなければいけない必要が全くないからです。人生の半ばを過ぎ、とうてい自己実現や成功した半生であたっとは思えませんが、とはいえマズローの欲求段階でいえば、1.2.3までは多少なりとも獲得しており、4についてはサラリーマンなので微妙なところですが、まあ人並み。つまり、逆に言えば、飛び級しなくても、5の自己実現の欲求を満たそうとすると、若人よりもステップは短いはずなんです。50歳からはじめるアーティスト、なかなか馬鹿っぽくていい響きじゃないですか(つまり成長が無いとも言う、、、ははは)

 さてさて、これとは別にプラモデラーとしても興味はありました。そう、職人とアーティストの違い。ソリッドモデルにしろプラモデルにしろ、モデラーは現実にあるもののミニチュアを模型化して再現するんですから、こりゃあ、はなからアーティストではないですね。大野さんは職人つまりアルティザンは、職能です、これでちゃんとおまんまが食える人です、と言ってます。けだし当然。飯食えない限りはやはり趣味でしかないわけで、それからすれば、やはりプラモデラーは職人じゃあないよね。博物館用の展示模型つくたり、映画用の小道具を作る職業のモデラーだけは職人さん。そんななかで、プラモがうまいだ下手だ、偉いの偉くないの、というのは、かわいいもんということですか。

  最後に、もうひとつ。建築士と建築家といった「士」(さむらい)業と「家」の語感の違いにも触れていますが、「模型士」「模型家」つーのもあったらどうでしょうか。数少ない「趣味発のプロモデラー」でいえば、前者なら柏木崇男氏、後者なら山田卓さん???

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2008年6月28日 (土)

Van der Graaf Generator 初来日ギグ

1969年にピーター・ハミルを中心に結成されたVan der Graaf Generator が、約40年たって初来日しました。個人的にはキング・クリムゾンのメタル・ヌーヴォー時代と対を為す、プログレッシブ・ロックの極北と思えるほどのすごいバンドです。ハードでソリッドなドラムとオルガンの音色と、狂気と知性の間を行き来するハミルのヴォーカル、時には鋭いリフ、時には叙情を奏でるデヴィッド・ジャクソンのサックスが、破綻しつつコラボレートしていました。ただバカテク・バンドではないため、クリムゾンやイエスのような人気は出ず、ワールドワイドでも本国のほかはイタリア人に受けただけ。日本でも今イチで(日本のプログレ・マニアはへヴィなサウンドではなく、オーケストラロックみたいなのが受けやすい)日本人のファンが何人いるかは分かりませんが、2千人もいるかどうか。私は高校生の頃、「RED」と「GODBLUFF」がへヴィローテーションでした。暗く重く、捩れた叙情と知的なサウンド、この条件を完璧に満たすバンドはクリムソとVDGGを置いてほかには無かったのです。                                                      2008062f282f912fb00093915f12522362e  初めて聞いたのは、1975年に再結成した後のGODBLUFFからです。このアルバムが一番ハードでへヴィなこともあり、マイフェヴァリットです。ピーター・ハミル本人の一番の自信作でもある。その後のSTILL LIFE、WORLD RECORD三部作が個人的ベスト。ただし古くからのファンは、最初の解散前のPawn Heartsが最高としています。確かにこのアルバムには名曲も多いです。ただ、このアルバムまでの第1期VDGGの昔のLPは音質が悪く、かなり損をしています、なお1stのエアゾールグレイマシンは演奏、音質ともに最低で後のバンドの片鱗がうかがえる程度。本国では正式発売されませんでしたので、ジェネシスにおけるアルバム「創世記」同様、本質的には1stではなく、プロのミュージシャンになるためのデモ盤といった位置づけでしょう。  さてハミル自身は1986年の初ソロ来日以降、かなり日本でライブを行っているが、VDGG自体が1978年に解散してしまたっため、今までの日本公演は総てソロかデュオでした。私は1986年に、いまはもう無くなった渋谷のLIVE INNでの初ソロに行きました。。VFGGはほとんどのアルバムを聞いていましたが、ソロ作は当時は2,3枚しか持っておらず、知っている曲がほとんど無かったので、ハミルの異様なほどの集中力にただびっくりしただけのギグでした。さらに全席立ち見で、消防法無視の客いれのため、会場は芋の子を洗う状態、酸欠で死にそうになったことを覚えています。  その後、ハミルはずっとソロで活動、ミュージックビジネスのオーバーグラウンドに出ることは一度も有りませんでした。しかし、2005年に奇跡的にVDGGが再再結成、Presentというニューアルバムと2007年に発売されたReal Timeというライブ・アルバムで、同窓会ではない現役バリバリのすごさを見せ付けてくれました。  残念なことに、2006年にサックスとフルートのデヴィッド・ジャクソンが脱退。VDGGの実質的なリード楽器は、ハミルのピアノと、ジャクソンのサックスだったので、これには大変がっかりしました。せっかく奇跡的に来日が実現したのに、バンドの魅力が半減するのではないか、と危惧していましたら、再々結成後の2枚目のニューアルバム「TRICECTOR」が、その懸念を払拭する素晴らしさでした。ハミルはピアノを演奏する時間を半分に減らし、かなりのパートでギターを持ち、mたバントンはリズム隊側だったのが(ベースが居ないバンドなので、バントンのベースペダルがリズムの支え)から、かなりリードも取るようになり、よりハードなロック色の強いアルバムとなりました。20年以上前のハミルのソロ「ネイディーアズ・ビッグ・チャンス」は、知性の人ハミルによるパンク・ロックへの回答だったのですが、少しあの感じが匂っています。とても60歳のジジイの音じゃない。非常に攻撃的な曲と変態バラードがサンドイッチになっていました。  それでも古い曲はサックス抜きのアレンジでだいじょうぶかなあ、ハミルのソロは激しいけれども、ピアノだけで単調なため、余り好きじゃない私ですので、かなり心配でした。  さてチケットは初日2008年6月27日金曜日のをを買いました。初日は移動の疲れや、練習のブランクなどで、どのバンドもいまひとつ、のことが多いのですが、土日に余り外出できないからいたし方無かったのです。また、招聘した有限会社 Office Ohsawa には感謝しても仕切れないくらいですが15,000円は一般的に言えばかなりの高額。ファンが少なく興行的にきついのは分かりますが、しかし好事家ならばいかな高値でも買うであろうという心理に付け込まれているのもまた事実。 http://www.bigstream.co.jp/artist/0806_vdgg/index.html                                     Vdggnow  会場の渋谷O-Westは初めて。円山町のラブホテル街のど真ん中ですね。会場脇のAMPMにたむろする渋谷のギャル(死語)達と、70年代ロックのここ10年のコンサートの定番、むさい親父ばっかりの客のアンバランスがおかしかったです。  さて曲の順番はしっかりとは覚えられませんでしたが、ハミルのソロ曲は無く、基本的には全部VDGGの知っている曲、つまりジャクソン在籍時の過去の代表曲とニューアルバム「Trisector」からの新曲がほぼ交互で半々でした。 代表曲からは、チャイルド・フェイス・イン・チャイルドフッドエンド、キラーズ、スコーチド・アース、スリープ・ウォーカーズ、ダークネス、レミングス、レフュジーズと、ほぼ再結成ライブ、Realtimeに収められていた曲でした。キラーズはたしか1曲目、スコーチド・アースも前半だったので、ところどころ初日にありがちな、ミスや微妙な呼吸の乱れがあり、また聞く方としても、ジャクソンのサックスの欠落感を感じてしまったのですが、大半はバントンのオルガンがサックスのリフを再現、曲によりハミルがギターでリード(と言えるギターの腕前ではないかもしれないが)を取り、また音色を変えるために慣れないペダルの踏み換えを神経質にやっていました。後半の曲は素晴らしいの一言。特にラストのレミングスは味わいのひとつであるハミルのヴォーカルの破綻も無く、ほぼ完璧な演奏でした。サックスなど最初から無かったような新しいアレンジも見事。ハミルの声は良く通りしかも声量が衰えていない。もちろん若い頃同様、感極まると音程がすっ飛ぶところも変わらない。 個人的にはArrowが聞きたかったなあ。Godbluffの曲はアグレッシブなんで大好きなんですが、PawnHearts以前、再結成前の曲であるレフュージーズやレミングスは1曲のなかに、ほとんど別メロで、泣きのバラード、静謐なインストゥルメンタル、ハードなメロディが組曲型式で入れ子になっているため、ライブだとより陰影がくっきりして、かっこよく聞こえました。  Trisectorからはインターリファレンス・パターンズ、ライフタイム(老境に差し掛かるハミルが歌うので、心に沁みたあ)、オーバー・ザ・ヒルス、オール・ザット・ビフォー、(ウィー アー)ノット ヒア。いずれもハードなアタックとフリー・フォームな掛け合いが新鮮でした。惜しむらくはオンリー・ア・ウィスパーがこの日は無かったこと。落ち着いていながらもながらメロもはっきりしていてかっこいい曲なのに。アルバム同様、へヴイでアグレッシブな曲とバラードをほぼ交互に演奏していました。あのテンションではハミルも体力が持たないでしょう。 アンコールは、ナッター・アラート。これまた、割と分かりやすい下世話なほど演歌っぽいへヴイ・ロックですが、知的な人達が演奏すると、非常に複雑な融合が成立します。2時間弱で決して長い演奏時間ではありませんが、高校生の頃から30年間愛して止まなかったバンドのギグを見ることが出来て、生涯最良の日のひとつに数えられる思い出となりました。                          <関連リンク>タダならぬ音楽三昧 http://invs.exblog.jp/8198582 ピーター・ハミル ブログ http://inverse.exblog.jp/                                   B0009391

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