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2007年1月21日 (日)

新年会からの帰宅(クオ・バディス2)

銀座で毎年恒例の大学の学科(工業デザイン)新年会に出て、銀座から銀座線で三越前まで来ました。表参道へ行ったほうが早いのですが、このほうが座って帰れるからですす。      

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終電近いので空いています。

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ところがこれがくせもの。ビール、ワイン、日本酒、焼酎といろいろ飲んできたので、あっというかに降車駅を乗り過ごし…、車内には誰もいません。

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長津田という駅で30分ほどタクシー待ち。やれやれ。

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やっと自宅近くの目印にしてるコンビニまで来ました。はああ。

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2007年1月18日 (木)

真実真正日記 読了

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敬愛する町田康の新作です。凝縮された異界のごとき小説作品群だけじゃなく、ここ最近はライトエッセイやテープ起しモノもあったので、最初はこれも「日記」とあるのでエッセイと思い込んでいました。文庫にでもなればエッセイでも買おうかと思いますが、単行本じゃ高くてパスしてるんです。

 「真実真正日記」は「告白」などに比べると、やるせない町田節が比較的薄く、肩が凝らずに読めます。日記といいつつ完全フィクションなんですが、いっぽう少しだけ本人の自伝的要素も混じっているのでしょう。主人公が結成するバンドが「犬とチャーハンのすきま」という名前なんですが、これ「INU」に通じるものが有るのでは?

 さてしかし、近所の本屋といえば東急百貨店内のテナント有隣堂(神奈川県の大手チェーン)しかなく、ここの品揃えは見事にファミリーユース。従ってミリタリーものはもちろん、純文学も大層少ないんです。あるのはミステリとか育児とかファッション誌ばっかりなんです。そんな中で私のような偏屈が読めるのが06年末では「真実真正日記」しか有りませんでした。リリー・フランキーとか宮部みゆきとか、イマドキの流行ものの小説でいいならたくさん置いてあるんですけどねえ。若い頃は自分が進歩的と勘違いしていましたが、中年を過ぎると、単にマイナー志向だけで、マイナーの中のコンサーバティブだったことに気がつきました。オールドタイマーのマイナー志向だと、そりゃあそもそも大勢に背を向けていたことに加え、どんどん時代から取り残されていく訳ですね。村上龍、村上春樹のW村上も新作が減り、池澤夏樹は欧州へ行っちゃうし、吉村萬壱は売れないからか新作が出ないし。そうそう昨日発表された芥川賞は若い女性でしたね。本屋大賞の仕掛け人の方とお話しする機会が有りましたが、広告屋としてはすごい!やられた!と思うんですけど、小売業者が売りたい本って、所詮はメジャーでライトな消耗品じゃないか、と一方の私は思ってしまうんです。

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2007年1月16日 (火)

ホワイトカラー・エグゼンプション

というなんだか聞きなれないカタカナが国会へ提出されるようです。大体においてカタカナ用語というのは、日本語に直訳しちゃうと身も蓋も無くなることを糊塗する場合に使われるのが世の常ですやね。ホワイトカラー・エグゼンプションもさまざまな条件を取っ払えば、「残業代カット」でしょう、有体に言えば。

実は残業代カットすなわち裁量労働制は私の勤務先でも一昨年から導入されています。富士通の元人事部の方の書かれた本を読んだ方はお分かりでしょうが、裁量労働制の裏書である目標達成値とか完全業績考課制度というのは、シンプルにあてはまる職業とそうでないチーム性の職業とでは大きな違いが有ります。たとえば為替ディーラーは際たるもので、一瞬のディーリングで億単位の営業収入を企業にもたらすことの有り得る職業です。それが成功したらその報酬として莫大なサラリーを個人に払っても、企業としては全く問題がありません。いっぽう多くの企業は、ワンマンアーミーとかローンウルフで成功できる仕事などははっきりってほとんど有る筈も無く、チームや隣の事業部とのコラボレーションとか、とにかく複数の人間が集まってひとつの成果を産み出す訳です。その業績を事後に計測するためには、単にいくら儲かったかという定量指標では図れない定性指標が必要になる訳ですが、定性的なものほど指標にはしにくい。部門で違うし、業種でも違う。つまりある企業のある部門でしか通じないものさしな訳で、こうなるとメートル法、ヤード・ポンド法とかいう差異よりもっと散らばってしまうため、もはや物差しとはいえないかもしれません。そういう物差しで、それまで作業に従事した時間外勤務手当てを剥奪し、成果主義でペイを支払われるとことの落差は膨大なものがあります。

 簡単にいえば時間外手当というアンコートラブルな人件費をなくせば、企業経営上は人件費をコントロール可能になる訳でかなり安定的な健全経営が可能になります。極論を言えば企業が拡大成長できなくて売上や粗莉が拡大できなくて、大抵の企業では経費の相当分を占める人件費を削減すれば、営業収入は確保できるんです。人員のリストラとか、部署に与える人件費予算を絞れば管理職は成績を全体的に下げてしまえば済むんですから。

 個人的に言えば、私は前jの某百貨店で販促とか店舗内装をやっていた時代、給与コントロールをされていました。組合もユニオン・ショップ制で委員長は出世の道を約束されたポストだったような会社でしたので、部門長に人事権が有る反面、人件費予算も付与されていたので、評価は当然部門内の相対評価になっていました。割を食うのはいつも女性の販売職でして、男性はよっぽどアホでない限り幹部候補生ということで、優遇されていました。

 現在の職場では裁量労働制が導入されたのは一昨年のこと。私自身は管理職側になってしまったので、残業代はもう貰えない世代なんで関係ないんですが、中堅社員、大体において30代後半以下の社員は、できる奴ほど時間外で稼いで私ら中間管理職よりたくさん貰っていたのが、一転マイナスに転じてしまったのです。結果、組織的リストラとは別に働き盛りがどんどん転職、人員構成が砂時計になってしまいました。

 経団連の会長がホワイトカラー・エグゼンプションを強行に主張しているそうですが、企業はそれで安定経営できるでしょうが、80%以上がサラリーマンという先進国でも異常な構成の日本において、サラリーをさらにカットすれば、消費はどんどん冷え込み、BtoCの企業は結局、カニバリというか、蛸が自分の脚を食べる状況に陥るだけだと思います。どうもここらへん、55年体制は既に崩壊しているのに、産業の中核が素材やエネルギーなど古の重厚肥大産業ベースの発想でしかないと思います。いざなぎ景気を超えたとかいいますが、その景気というにはあくまで設備投資レベルの話でしかなく、一消費者としての景気浮揚感の実態などある訳もありません。ましてや35歳以下25歳までのロストジェネレーションにいたっては、その多くが年収200万円なんです。

 2、3年先しか見ていない近眼思考でサラリーの問題をいじってしまうと、縮小均衡で生きるしかないこの日本において、10年先の計を誤ってしまう危険性が大きいと危惧します。団塊世代や現在55歳以上の方は逃げ切りが可能ですが、50歳前の我々はそうもいかない。ホワイトカラー・エグゼンプションはやはり廃案になるのが妥当なのではないでしょうか。

 

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2007年1月11日 (木)

パプリカ

筒井康隆御大原作 今敏(こんさとし)監督のアニメ映画「パプリカ」を見て来ました。結論:とってもいい出来です。筒井原作は1993年の断筆宣言の直前に発刊された小説です。筒井作品は若干のエッセイを除き多分ほとんど全部読んでいるはずですが(ジャスピアニストの山下洋輔に言わせれば、新聞の寄稿一片たりとも疎かにせず全部読んでいて初めてツツイストを名乗れるそうですが!)、個人的には筒井作品のなかではベストと思っています。初期のスラップスティックも嫌いではありませんが、若いころは文章が雑なことが気になります。断筆が近づくころですとメタフィクションの最高傑作「虚構船団」が登場しますが、メタフィクションはやはりメタであって、文芸作品もエンタメのフィールドで捉らえる私にはややつらいものがあります。その点「パプリカ」は女性誌に連載されたこともあってか、トラディショナルな神話構造的作品なので安心して楽しめるのです。

 さてしかし内容は当時としては革新的であったろう(つまり21世紀の現在では設定自体は目新しくない)、メカによるサイコセラピーであり、夢が実体化するという、筒井御大でなければ陳腐になってしまう情景を精緻かつ狂気の筆で描いているからこそ芸術作品として成り立っているものを、アニメーションで具体化するというのはかなり危険性が伴うことだと思っていました。しかしその点は今監督×マッドハウスというチームは充分に課題をクリアし、小説の世界感を保ちつつ別種の作品として屹立させることに成功しています。恐るべしジャパニメーションの底力!映画版「アキラ」のクオリティをもっと現代的に変容させたような趣です。また音楽もややうるさいものの特定の色合いが無く映画音楽としてアニメの世界観とインテグレートされていました。元P-モデルの平沢進さんです。キャスティングの勝利ですな。「アキラ」は芸能山城組の音楽をBGMに用いたことで、土俗性と近未来カタストロフがミスマッチになってしまい失敗だったと思っています。

 原作の面白さのひとつは純粋SFの楽しさと別に、夢と夢の中の理想の女性、そしてオタクがサブキャラというシチュエーションから想像されるように、淫夢または一種のマスターベーション的愉楽を含有していることがあげられます。もちろんそれは読者が男であるからこそ、に限定されます。公開していた映画館のお客もその手のオタクおやじがほとんどでした。 先に原作は女性誌に連載されたと書きましたが、単行本で読んだ私はそのことを意識していませんでした。ですの映画で終盤、千葉敦子の淫夢内レイプヌード、最後にパプリカの昇天ヌードが見られるものの、原作がそもそもはそういうオヤジ相手でなく、女性を対象にしていたこともあってか、全体的には大変清楚な印象でまとめてありました。千葉敦子は戯画的なくらいイキオクレ風エリート研究者然として描かれているし(別に香山リカさんを指している訳ではない。原作を読んでいる時点では私は千葉麗子(古ッ!)をイメージしていた)、パプリカも絶世の美女ではなく、そばかすのあるようなキュートな風情で、つまりエビちゃんみたいな男目線を常に意識している「女の子力」オンリーで生きる寄生タイプではなく、自立して飯食っているOLさんがあこがれるタイプです。あるいは異様にバストの大きいぽっちゃり系=アニメ世界で童貞君が憧れる美女ではなく、あくまでスリムな雑誌のスチールモデル系とも言えるでしょうか。

SPE公式サイト

http://www.sonypictures.jp/movies/paprika/index.html

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