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2008年8月21日 (木)

アーティスト症候群 アートと職人、クリエーターと芸能人

「アーティスト症候群 アートと職人、クリエーターと芸能人」 大野左紀子著 明治書院

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E2%80%95%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%A8%E8%81%B7%E4%BA%BA%E3%80%81%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A8%E8%8A%B8%E8%83%BD%E4%BA%BA-%E5%A4%A7%E9%87%8E-%E5%B7%A6%E7%B4%80%E5%AD%90/dp/4625684064/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1219246771&sr=1-1

                 41avaoui62bl_ss500_を読了しました。

 年配に受けの悪い(私も嫌い)「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉に癒されて(=自分を偽って)、努力という自己犠牲をややなおざりにして、「アーティスト」 という、いまやデフレになった肩書きにすがる、ロスジェネの若者たちへの警句の書。本書でも触れているが、三浦展の「下流社会」および村上隆の「芸術家起業論」を読んだ上で本書をお読みになることをおすすめします。

 さて作者は元アーティスト(芸大の彫刻科出身)、現一般人。つまり廃業された方なわけで、その説得力は重い一方、やや恨み節的雰囲気もあります。わたし自身は、父親が芸術家ではあったものの、直木賞作家のような職業芸術家ではなく詩人であったため(それでも詩壇の芥川賞と一部で呼ばれたH氏賞受賞作家ではあった)、正業(副業?)は出版社のサラリーマン編集者であり、母親は一番手に負えない工芸(紅型という沖縄の染物)の技術を下敷きにした自称作家(知り合いだけが個展でおつきあいで買ってくれるという類)だったため、芸術そのものは好きではあったものの、およそ芸術家を目指そうなどとはこれっぽっちも思っていませんでした。芸術家どころか、フリーのデザイナーすら忌避して、企業で禄を食み発注る側を選択した人間ですので、こういう本を読んでも閉塞感にとらわれることは全くありません。それどころかこの手のいわゆる内幕物がアートの世界では無かったため、とても興味深く読めました。村上隆の「芸術家起業論」がプラスのベクトルの内幕物なら、この本はマイナス思考の内幕物、村上さんの本とも併せて読むべきかもしれません。

 もうひとつ筆者にシンパシーを感じるのは同年代だからか。なんせアール・ヴィヴァン、スタジオ200(筆者はスタジオ2000とミスタッチしていますが、正しくは200席の小屋なので200です)、西武美術館という三大噺で来れば、これすべて私の職場である企業がやってたんですから。美術館では、作品としては一番つまらなかったけれど一番刺激にあふれたヨーゼフ・ボイス。美しい美しいドローイングに魅せられたクリストの「アンブレラ・プロジェクト」が懐かしい。アール・ヴィバンではおやじの処女詩集も売ってましたが、一番光っていたのはペヨトル工房のカセット・ブック「夜想」。京都のサイバーファンク・バンドEp-4のガレージコンサートも彼女と行ったし、スタジオ200はオヤジの元同僚で堤清二会長の知り合いである詩人の某氏がキュレーターやってました。当時真黄色な部屋って、あそこしかなかったんじゃないかな。ああ、甘酸っぱい青春。

 さて私が面白かったのは、アーティストという言葉の重さの低下度合い。洋楽のミュージシャンについては1970年代からアーティストというという呼び方を、ミーハーロック雑誌である「ミュージック・ライフ」にて水上はる子とか東郷かおる子がしていたと思いますが、その後、日本のニューミュージック(J-POPのはるか昔の死語)のミュージシャンが自称する段になって私は初めて違和感を覚えました、何をのぼせていやがるんだ、と。それがいまやゲーム・クリエーターに代表される男子クリエーター系の人気も追い越して、「フローラル・アーティスト(ようはホテルの生け花係り)、「ヘア・アーティスト」(美容師でしょ)、メイクアップ・アーティスト(メイクさんだわ)まで拡がっている時代。これに幻想を抱く衆は、マズローの欲求の段階のうち、1生理的欲求 2安全の欲求 3所属愛の欲求 4自我(自尊)の欲求をすっとばして、いいなり5自己実現の欲求に飛び級しちゃいたい人だと決め付けています。あるいは地方出身者でなければ1.2は親抱えなので心配する必要がない層もいるかも。

 結局漢字の芸術家が、クマさんやアラーキーの「ゲージツ家」を経て、「アーティスト」に金利引き下げになった時点で、職人やクリエーターの言葉ではまだ避けて通れない「修練」を無視しても、下流であれ、誰であれ、あこがれを抱くことができる職業っぽいイメージ上の言葉なんでしょう。下層階級がはいあがってスーパースターになるのは、アメリカの大リーガー、バスケ、ラップミュージシャン、日本でもボクサーなんかが典型ですが、スポーツって誰がどう考えても「才能+超絶的な修練」が必要だと分かっているのが、今の日本のデフレ「アーティスト」と違うところでしょう。

 最後に、私がこの本を読んでもちっとも暗くならないのは、当然のことながらすでに青春期をとっくに過ぎ、これから一生の職業を選択しなければいけない必要が全くないからです。人生の半ばを過ぎ、とうてい自己実現や成功した半生であたっとは思えませんが、とはいえマズローの欲求段階でいえば、1.2.3までは多少なりとも獲得しており、4についてはサラリーマンなので微妙なところですが、まあ人並み。つまり、逆に言えば、飛び級しなくても、5の自己実現の欲求を満たそうとすると、若人よりもステップは短いはずなんです。50歳からはじめるアーティスト、なかなか馬鹿っぽくていい響きじゃないですか(つまり成長が無いとも言う、、、ははは)

 さてさて、これとは別にプラモデラーとしても興味はありました。そう、職人とアーティストの違い。ソリッドモデルにしろプラモデルにしろ、モデラーは現実にあるもののミニチュアを模型化して再現するんですから、こりゃあ、はなからアーティストではないですね。大野さんは職人つまりアルティザンは、職能です、これでちゃんとおまんまが食える人です、と言ってます。けだし当然。飯食えない限りはやはり趣味でしかないわけで、それからすれば、やはりプラモデラーは職人じゃあないよね。博物館用の展示模型つくたり、映画用の小道具を作る職業のモデラーだけは職人さん。そんななかで、プラモがうまいだ下手だ、偉いの偉くないの、というのは、かわいいもんということですか。

  最後に、もうひとつ。建築士と建築家といった「士」(さむらい)業と「家」の語感の違いにも触れていますが、「模型士」「模型家」つーのもあったらどうでしょうか。数少ない「趣味発のプロモデラー」でいえば、前者なら柏木崇男氏、後者なら山田卓さん???

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