2008年6月28日 (土)

Van der Graaf Generator 初来日ギグ

1969年にピーター・ハミルを中心に結成されたVan der Graaf Generator が、約40年たって初来日しました。個人的にはキング・クリムゾンのメタル・ヌーヴォー時代と対を為す、プログレッシブ・ロックの極北と思えるほどのすごいバンドです。ハードでソリッドなドラムとオルガンの音色と、狂気と知性の間を行き来するハミルのヴォーカル、時には鋭いリフ、時には叙情を奏でるデヴィッド・ジャクソンのサックスが、破綻しつつコラボレートしていました。ただバカテク・バンドではないため、クリムゾンやイエスのような人気は出ず、ワールドワイドでも本国のほかはイタリア人に受けただけ。日本でも今イチで(日本のプログレ・マニアはへヴィなサウンドではなく、オーケストラロックみたいなのが受けやすい)日本人のファンが何人いるかは分かりませんが、2千人もいるかどうか。私は高校生の頃、「RED」と「GODBLUFF」がへヴィローテーションでした。暗く重く、捩れた叙情と知的なサウンド、この条件を完璧に満たすバンドはクリムソとVDGGを置いてほかには無かったのです。                                                      2008062f282f912fb00093915f12522362e  初めて聞いたのは、1975年に再結成した後のGODBLUFFからです。このアルバムが一番ハードでへヴィなこともあり、マイフェヴァリットです。ピーター・ハミル本人の一番の自信作でもある。その後のSTILL LIFE、WORLD RECORD三部作が個人的ベスト。ただし古くからのファンは、最初の解散前のPawn Heartsが最高としています。確かにこのアルバムには名曲も多いです。ただ、このアルバムまでの第1期VDGGの昔のLPは音質が悪く、かなり損をしています、なお1stのエアゾールグレイマシンは演奏、音質ともに最低で後のバンドの片鱗がうかがえる程度。本国では正式発売されませんでしたので、ジェネシスにおけるアルバム「創世記」同様、本質的には1stではなく、プロのミュージシャンになるためのデモ盤といった位置づけでしょう。  さてハミル自身は1986年の初ソロ来日以降、かなり日本でライブを行っているが、VDGG自体が1978年に解散してしまたっため、今までの日本公演は総てソロかデュオでした。私は1986年に、いまはもう無くなった渋谷のLIVE INNでの初ソロに行きました。。VFGGはほとんどのアルバムを聞いていましたが、ソロ作は当時は2,3枚しか持っておらず、知っている曲がほとんど無かったので、ハミルの異様なほどの集中力にただびっくりしただけのギグでした。さらに全席立ち見で、消防法無視の客いれのため、会場は芋の子を洗う状態、酸欠で死にそうになったことを覚えています。  その後、ハミルはずっとソロで活動、ミュージックビジネスのオーバーグラウンドに出ることは一度も有りませんでした。しかし、2005年に奇跡的にVDGGが再再結成、Presentというニューアルバムと2007年に発売されたReal Timeというライブ・アルバムで、同窓会ではない現役バリバリのすごさを見せ付けてくれました。  残念なことに、2006年にサックスとフルートのデヴィッド・ジャクソンが脱退。VDGGの実質的なリード楽器は、ハミルのピアノと、ジャクソンのサックスだったので、これには大変がっかりしました。せっかく奇跡的に来日が実現したのに、バンドの魅力が半減するのではないか、と危惧していましたら、再々結成後の2枚目のニューアルバム「TRICECTOR」が、その懸念を払拭する素晴らしさでした。ハミルはピアノを演奏する時間を半分に減らし、かなりのパートでギターを持ち、mたバントンはリズム隊側だったのが(ベースが居ないバンドなので、バントンのベースペダルがリズムの支え)から、かなりリードも取るようになり、よりハードなロック色の強いアルバムとなりました。20年以上前のハミルのソロ「ネイディーアズ・ビッグ・チャンス」は、知性の人ハミルによるパンク・ロックへの回答だったのですが、少しあの感じが匂っています。とても60歳のジジイの音じゃない。非常に攻撃的な曲と変態バラードがサンドイッチになっていました。  それでも古い曲はサックス抜きのアレンジでだいじょうぶかなあ、ハミルのソロは激しいけれども、ピアノだけで単調なため、余り好きじゃない私ですので、かなり心配でした。  さてチケットは初日2008年6月27日金曜日のをを買いました。初日は移動の疲れや、練習のブランクなどで、どのバンドもいまひとつ、のことが多いのですが、土日に余り外出できないからいたし方無かったのです。また、招聘した有限会社 Office Ohsawa には感謝しても仕切れないくらいですが15,000円は一般的に言えばかなりの高額。ファンが少なく興行的にきついのは分かりますが、しかし好事家ならばいかな高値でも買うであろうという心理に付け込まれているのもまた事実。 http://www.bigstream.co.jp/artist/0806_vdgg/index.html                                     Vdggnow  会場の渋谷O-Westは初めて。円山町のラブホテル街のど真ん中ですね。会場脇のAMPMにたむろする渋谷のギャル(死語)達と、70年代ロックのここ10年のコンサートの定番、むさい親父ばっかりの客のアンバランスがおかしかったです。  さて曲の順番はしっかりとは覚えられませんでしたが、ハミルのソロ曲は無く、基本的には全部VDGGの知っている曲、つまりジャクソン在籍時の過去の代表曲とニューアルバム「Trisector」からの新曲がほぼ交互で半々でした。 代表曲からは、チャイルド・フェイス・イン・チャイルドフッドエンド、キラーズ、スコーチド・アース、スリープ・ウォーカーズ、ダークネス、レミングス、レフュジーズと、ほぼ再結成ライブ、Realtimeに収められていた曲でした。キラーズはたしか1曲目、スコーチド・アースも前半だったので、ところどころ初日にありがちな、ミスや微妙な呼吸の乱れがあり、また聞く方としても、ジャクソンのサックスの欠落感を感じてしまったのですが、大半はバントンのオルガンがサックスのリフを再現、曲によりハミルがギターでリード(と言えるギターの腕前ではないかもしれないが)を取り、また音色を変えるために慣れないペダルの踏み換えを神経質にやっていました。後半の曲は素晴らしいの一言。特にラストのレミングスは味わいのひとつであるハミルのヴォーカルの破綻も無く、ほぼ完璧な演奏でした。サックスなど最初から無かったような新しいアレンジも見事。ハミルの声は良く通りしかも声量が衰えていない。もちろん若い頃同様、感極まると音程がすっ飛ぶところも変わらない。 個人的にはArrowが聞きたかったなあ。Godbluffの曲はアグレッシブなんで大好きなんですが、PawnHearts以前、再結成前の曲であるレフュージーズやレミングスは1曲のなかに、ほとんど別メロで、泣きのバラード、静謐なインストゥルメンタル、ハードなメロディが組曲型式で入れ子になっているため、ライブだとより陰影がくっきりして、かっこよく聞こえました。  Trisectorからはインターリファレンス・パターンズ、ライフタイム(老境に差し掛かるハミルが歌うので、心に沁みたあ)、オーバー・ザ・ヒルス、オール・ザット・ビフォー、(ウィー アー)ノット ヒア。いずれもハードなアタックとフリー・フォームな掛け合いが新鮮でした。惜しむらくはオンリー・ア・ウィスパーがこの日は無かったこと。落ち着いていながらもながらメロもはっきりしていてかっこいい曲なのに。アルバム同様、へヴイでアグレッシブな曲とバラードをほぼ交互に演奏していました。あのテンションではハミルも体力が持たないでしょう。 アンコールは、ナッター・アラート。これまた、割と分かりやすい下世話なほど演歌っぽいへヴイ・ロックですが、知的な人達が演奏すると、非常に複雑な融合が成立します。2時間弱で決して長い演奏時間ではありませんが、高校生の頃から30年間愛して止まなかったバンドのギグを見ることが出来て、生涯最良の日のひとつに数えられる思い出となりました。                          <関連リンク>タダならぬ音楽三昧 http://invs.exblog.jp/8198582 ピーター・ハミル ブログ http://inverse.exblog.jp/                                   B0009391

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2008年2月24日 (日)

カート・ヴォネガット タイムクエイク

米国を代表する(はずの)作家、カート・ヴォネガットが2007年に亡くなったことをずいぶん後になるまで知りませんでした。2008年になって、「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」という初期短編集(モンキー・ハウスへようこそ の姉妹版)が文庫で発売され、ヴォネガットの作品を本当に久しぶりに読んだと同時に、後書きでその死を知った次第でした。

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アメリカの作家、いや自分の読む作家のなかでも最も敬愛する一人だったはずなのですが、1990年の「ホーカス・ポーカス」以来、17年間ご無沙汰だった計算になります。「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」の後、手じかに有った59年の「タイタンの妖女」と75年の「スラップスティック」を読み直しました。

 さらに1998年に出た「タイムクエイク」を読み忘れていたことに気づき、ハヤカワ文庫を探しましたが、ヴォネガットは未だにSF文庫から出るため、SF不人気の昨今では、そこらの本屋では在庫切ればかりでした。

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 読み始めたら、ヴォネガット節の炸裂で、本当に懐かしくまた楽しいひと時を過ごせました。村上春樹の中期までは、部分的にヴォネガットの真似だったことが良く判ります。たとえば「チリンガ・リーン」。

 印象的だったのは、南北アメリカの先住民は16世紀に欧州人が侵略する前に1400万人ほどおり、20世紀にはその10%程度しか生存していないという挿話。数値の信憑性はわかりませんが、それを信じれば、ホロコーストのうち歴史上最大と言っても過言でないのは、はナチスユダヤ人虐殺、アメリカの原爆、スターリンの粛清、毛沢東の文化大革命ではなく、アングロサクソン達によるアメリカ先住民、特に北米のネイティブ・アメリカン虐殺だということになります。西部劇とか騎兵隊とかいって、それを誇らしげに未だに思い続けるアメリカ人の傲慢さとは一体なんなんでしょうか。

 もうひとつはヴォネガットが好きな映画。一番は「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」、二番目が「イヴの総て」、三番目が「カサブランカ」ということが判ったことです。

 この作品の前作「ホーカス・ポーカス」の内容は忘れてしまったのですが、「タイムクエイク」は、ヴォネガットの作中人物であり、彼の分身でもあるキルゴア・トラウトが大活躍し、あまつさえ、ヴォネガット本人と会話をするなど、ヴォネガット作品の総集編の様相を呈しています。

 またトラウト作!の短編が、タイムクエイク(時間の地震)で止まった10年間の前後に、計算づくなのか無秩序になのか、たくさん散りばめられ、時間軸の構成としてはかなり複雑なメタフィクションになっています。筒井康隆の「虚構船団」は今思うとメタフィクション足ろうとしてかなり生硬な出来だと思いますが、ヴォネガットはそこらへんがとっても柔らかい。しかし複雑さはかなりのものです。

 遺作のエッセイ「国の無い男」は、爆笑問題の太田光推薦という帯付で出ていますが、これは小説ではなく、エッセイなので1600円強の出費は控え、文庫になったら読んでみようと思います。

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横山大観

新国立美術館の横山大観展を見てきました。
http://www.asahi.com/taikan/exhibition/index.html
我が朝のゲイジツにはじつはあんまり興味が無く、日本画といえば、古い時代の琳派と、もっと最近の加山又造とか工藤甲人しか知らず、明治・大正・昭和の巨人 横山大観については、その代表作も知らない始末。
 なんでそれでも見に行ったかというと、70過ぎの母親が、お友達が別の人と行くことになったので、新聞社からもらった只券が余ってしまうからと珍しく声をかけてきたからなんです。
 横山大観は多分ものすごく精力的な人なんだと思いました。西洋絵画の技法も吸収しつつ、古典的なスタイルや画題でも描くし、落ち着いた画風から破格を恐れないアバンギャルドな作風もあり、またテクニックを誇示したものから、かなり俗っぽいテーマがあったり、逆にまるで絵本の挿絵みたいな素朴な絵まで、焦点がつかめない巨人だと思いましたね。印象的なのは、松や柳を描く緑色。緑青がベースなんでしょうか、尾形光琳のビビッドな緑ではなく、やや明るく彩度の低い緑。これが好きなようで、繰り返し使われていました。
 結局好きにはなれない絵ではありますが、通と俗を超えたお方であることだけは判明。

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2008年2月 4日 (月)

城塞

この赤土の丘陵の上に建つ城で過ごした日々は夢だったのか

夜警が誰何し、それに答える者たちの相貌の記憶は曖昧だ

脂の燃える嫌な匂いを放つ篝火に照らされて

崩れかけた煉瓦の壁に横たわる我が身からは

既に若い頃の力は失われている

明日の朝を迎えれば墜ちる定めの城と王国に未練は無い

己の流離の人生にも省みるべき何事も無い

惜しむらくはこの世に我が身の生きた証を何も残せなかった

人生は危ういバランスの上の細い一本の糸

どこに有るのか、それを探して彷徨う一生の最後に

探し物は結局自分の中に有ること悟った時は

落城を前にした最後の夜だった

恐らくは王であろうと娼婦であろうと

城塞の内に住まう物はなべて

結局は己が最後に瞬間にしか

その事実に気がつかないだろうが

自らもまたその陳腐な定めにとらわれていたことに

苦い笑みを浮かべながら

刃の毀れた剣に最後の油をそそぐ

人生はまばたきのごとく脆いもの

現れた時は知らず、消えるときのみ知覚できるもの

そろそろと白み始めた東の空に

苦い後悔の念だけが拡がっていく

終わりの始まり

赤い獣脂の篝火だけが

私の横顔を照らしている

城塞のひとびとは消え行く定め

篝火は朝の光に消え行くもの

終わりの始まり

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2006年9月17日 (日)

国宝 風神雷神図屏風 ―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造―

出光美術館で開催していた「国宝 風神雷神図屏風 ―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造」という展覧会を見に行って来ました。

http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html

                                              Ticket_5

江戸初期に、俵屋宗達が残した最高傑作、国宝「風神雷神図屏風の完成のおよそ七・八十年後に、宗達を慕い琳派の後継者を自負した同じ都の絵師・尾形光琳によって、模作がつくられていますそしてそこからさらに一世紀ほどを経て、幕末に東国江戸で琳派を再興した酒井抱一が、あらためて光琳画から模作をつくりました。これら三つの作品を一堂に展示しています。素人の直感的な感想は、やはり初代宗達が一番いいです。模写した光琳、それをまた宗達の模写と知らず模写した抱一と、時を経るごとに、二人の獣神が漫画チックに変容していくさまが面白かったです。ただこれをDNA模写のようにだんだんオリジナルが劣化していくと見るのは早計で、宗達の作品は色もあせており古色がつき、素人にはなんとなく有り難く見える側面も有ると思います。平安時代の東大寺が赤緑と金箔で覆われ完全に中国風デザインのコピーだったさまをいまの我々が想像できず、かつそのさまには恐らく敬意を払えないであろうことと同じです。

 逆に光琳はやはり「かきつばた」の豪華絢爛な屏風のほうが名作ですね。風神雷神はたぶん自分の心覚えのための模写だったんでしょう。なお宗達は扇子屋さんを経営するデザイナー、光琳は公家、大名、役人など、多くの庇護者やパトロンをもつ欧米と同様の中世の絵描きの典型、抱一は大名家の次男で光琳に私塾し江戸琳派の創始者といわれますが、すこしだけ作品を見た限りでは「まじめな研究者・愛好家」の域に留まっているようにも思えます。出光美術館の収蔵品に抱一の「かきつばた図」が有るのですが、写真で見る光琳のかきつばたより鮮度が数段落ちて見えました。

 私が特にこの展覧会が素晴らしと思ったのは、その三代の絵師の作品をただ並べるだけでなく、あるいはただ研究者の記録を文字データで掲示するだけで終わらせず、私らのような素人にも充分知的好奇心を満足できるよう、よく考えたプレゼンテーション手法が施されていたということです。三人の絵師の作品はそれぞれ部分ごとにアップ写真パネルを掲示、同異を解題してあったり、文字情報を単なるプリンタ出力パネルではなく、紗がかった布のタペストリに印刷したり、先に三作品を見せておき、そのあとゆっくり解題するという構成で、導線も工夫されていました。

 国営の美術館が海外の有名美術館の作品レンタルで汲々とし収蔵作品展に工夫が少ない中、あるいは東京都写真美術館や水戸芸術館がキュレーターのセンスによるエッジの立った先鋭的テーマを行い素人感覚と乖離しがちなのに対し、一見地味ながら、知と美をきちんとリンケージしたこの試みはとても新鮮でした。これからの日本の美術館のベクトルを示唆するとまで言ったらおおげさでしょうか。

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2006年9月 9日 (土)

「優しい魂よ」

Eiki202 2005年8月9日に他界した父の遺稿詩集「優しい魂よ」が出版されました。 http://ryukyushimpo.jp/info/storyid-15928-storytopic-22.html

(以下、琉球新報記事より)

 2005年8月に亡くなったH氏賞受賞詩人で、山之口貘賞の選者を28年間務めた知念榮喜氏の遺稿詩集。知念氏が、亡くなる直前までつづった手書き詩集を基に作成。表題作を含む17作品を収録しています。研ぎ澄まされた感性から沸く、切迫したリズム感、澄み切った生の鼓動が、あふれています。
  高見順賞を受賞した詩人で作家の辻井喬氏(本名堤清二)が「知念榮喜の人と作品」、現代詩花椿賞受賞の詩人・高貝弘也氏が詩「汀のひとよ―知念榮喜翁の魂に」、歴程新鋭賞受賞の詩人・田野倉康一氏が「血のなかの産土―知念榮喜の詩集をめぐって」をそれぞれ寄稿しています。

琉球新報社発行 価格2,100円(税込) ISBN 4-89742-175-X 判型B5判107ページ 2006年7月発行

相当数の原稿は10年以上前から暖めていたはずですが、前回の詩集を出した神戸の出版社が原稿を預かったまま、売れないと予想し、塩漬けだったのです。父の死を期に、父がずっと「山之口獏賞」の選考委員を務めていた関係で主催している琉球新報社さんが出版の意向を示してくれたのでした。とはいえ100部買取が条件ですから自費出版でこそ無いものの詩集は商品にはなりえないですねえ。

父も死を予感していたのか、手作りの生原稿の綴りを、家(私の母親)と父を師匠のように慕ってくれた田野倉さんという在京の詩人、それに山之口獏賞受賞の在沖詩人与那覇さんの三人に生前渡しており、これをもとに原稿を作る作業が始まりました。今回は与那覇さんの馬力で辻井喬氏の寄稿を得ることが出来、また田野倉さんの絶大なる尽力のより父の年譜が出来ました。なお、私自身はこのプロセスにはまったくかかわっておりません。ここでお二人には心から感謝を表したいと思います。

与那覇さんには申し訳ないのですが、田野倉さんが喝破されたように、父はやはり沖縄という幻の故郷を心の中に求めた彷徨の人であり、決して沖縄の土着性とは無縁の人でありました。またありがたいことに、年譜を作成していただいたおかげで、断片的にしか聞いていなかった交友関係や日本浪漫派との関わりが分かったことです。生前には聞いてもつながらなかったのに不思議なことですね。

ご希望の方は琉球新報事業局出版事業部098-865-5100へ。

ご連絡いただければ私からも著者買取分を定価で発送できます。

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http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=489742075X

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