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2009年9月22日 (火)

H・P・ラヴクラフトとその影響力

これも個人サイトとMIXIのコピペ記事。

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さて、実のところH・P・ラヴクラフトをちゃんと読むのは2010年、当年とって50歳になって今回が初めてなのです。エドガー・アラン・ポーは父親の関係もあり創元社の箱入りの全集3巻を中学生の頃から読んでいたのですが、エンターテインメント小説を読まないせいか、なぜかラブクラフトには縁がありませんでした。小説は純文学しか読まないのとは逆に、映画はカルトのほか、SFやアクション、ホラーなどのエンタメしか観ないせいで、ホラー映画「フロム・ビヨンド」などのオリジンがラヴクラフトであることは昔から知ってはいました。近年、コミック界の異才・諸星大二郎が「栞と紙魚子シリーズ」で、なかばパロディとして、クトルフ神話などラヴクラフト関連の固有名詞を用いており、原典よりもその後の映画や小説、コミックなどへ与えた影響のほうが評価されている作家について、ちょっとここらで勉強しておかないと恥ずかしいと思った次第です。
 創元社の文庫も最近、特にSFの古典は棚に無いことが多いですが、幸いTVアニメ機神咆哮デモンベインというものの原作者、鋼屋ジンという御仁の推薦帯が付いていて、全巻再販されていました(ちなみにデモンベインはコミック、アニメ、ゲームもあるそうです)。
 しかしながら全巻読むエネルギーは無く、2巻、4巻、5巻の三冊のみピックアップ。下記はアマゾンに掲載されている出版社の紹介文。
 2巻:宇宙的恐怖にみちた暗黒世界への鍵ともいうべき作品「クトゥルフの呼び声」「エーリッヒ・ツァンの音楽」魔神の秘密を知った青年を襲う恐るべき出来事を描いた傑作長編「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」を収録。
 4巻:ヒマラヤすら圧する未知の大山脈が連なる南極大陸。その禁断の地を舞台に、著者独自の科学志向を結実させた超大作「狂気の山脈にて」をはじめ、中期の傑作「宇宙からの色」「ピックマンのモデル」「冷気」や、初期の作品「眠りの壁の彼方」「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」「彼方より」の全七篇にエッセイ一篇を収録した。
 5巻:Uボートの艦長が深海の底でアトランティスに遭遇する「神殿」、医学生のおぞましい企てを描く「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」、セイレムの魔女裁判の史実を巧みに取り込んだ「魔女の家の夢」等、クトゥルー神話の母胎たる全八編を収録した。巻末に、資料「ネクロノミコンの歴史」を付す。

 「インスマスの影」が載っている1巻も必ものなんでしょうが、5巻の「ダニッチの怪」(ハマーの映画ではダンウィッチの怪でしたね)とホラー映画の原作「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」、4巻の大作「狂気の山脈にて」、2巻のクトゥルフ神話の原典「クトゥルフの呼び声」を読めば、まあとりあえず代表作をカバーしたと思います。20世紀初頭の時代がかった文章であることと、4巻、5巻の大瀧啓祐氏の訳文がどうにも生硬で苦痛を覚えるため、全巻読破をあきらめた次第。2009年の5月から、仕事の本や飛行機の本も間に挟んだとはいえ、三冊読むのに8月のお盆までかかりました。速読派(=すぐ内容忘れる)の私としては珍しいほど長くかかったのです。

 クトルフ神話とか、コズミック・ホラーといったラヴクラフトの主要テーマは大体、この三巻で分かったような気がします。しかしラヴクラフトは過剰に説明的すぎるため、小説家としては一流ではなかったというのが正直な感想です。前世紀の人であるE・A・ポーが短編の名手であり、恐怖などの感情を動かすために極めて精緻な計算にもとづき小説を執筆したの事実や、あるいは後世のスティーブン・キングが延々長い長い描写を連ねて、恐怖の効果をじわじわとあおっていくのとはどうも違います。「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」や「狂気の山脈にて」はどちらも1/3に凝縮すれば大傑作になったと思います。
 逆にいえば、ラヴクラフトはポーのように「効果の演出のために小説を書く」のではなく、例えば「狂気の山脈にて」のように、彫刻という芸術を延々読み解くプロセスを読者に啓蒙したかったのかもしれません。作品そのものより、その世界観をもって後世の人々に与えた影響のほうが重視されるべき先駆者なのでしょう。
 
 <ネクロノミコン>
 さて「ネクロノミコン」ですが、初めて知ったのはH・R・ギガーの画集でした。1980年代ですね。この当時はオリジンがラヴクラフトなどとは露も知りませんでした。自作にもしょっちゅう引用されていますし、映画「ナインス・ゲート」はまさにこういった本そのものをテーマにした作品ですが、純文学における偽書、例えばラテン・アメリカ文学の巨匠ボルヘスなどにも密かに影響を与えているのではないでしょうか。なお、諸星大二郎は「栞と紙魚子シリーズ」で「ネクロノミコン」を「根暗な蜜柑」とパロっています。なんだかかつての吾妻ひでお先生のようですね。「ダンウィッチの怪」は「団 一致」先生ですし、先生の娘は「クトルウ」ちゃんで、彼女は「テケリ・リ!」という「狂気の山脈にて」で旧支配者もしくはショゴスが出す声と同じ言葉を叫びます。

 <クトゥルフ>
 クトゥルフですが、WIKIにはチープなイラストが掲載されています。文庫のあとがきに掲載されている「狂気の山脈にて」の「旧支配者」の挿絵も似たようなもので、サボテンみたいな胴の上にヒトデ型のタコ脚が載っていて、背中に翼、という今ではちょっと噴飯ものの造形です。恐怖より笑いが先にたってしまいそうです。したがって、クトゥルフ神話はラヴクラフト以後の作家によって書かれた神話作品で、ラヴクラフトの基本プロットを踏襲して、そこに新たに創作した遺物を付け加えるなど共有・拡張されたもののほうがやはり私には馴染み深いです。国内SFは筒井先生以外読まないので分かりませんが、この間亡くなった栗本薫などが、パターンを借りて延々書き続けていたようですね(昔この人と仕事をしたことがあったのですが、好きで取り上げたわけでもなく、また一緒に仕事をしても単にワーカホリックであることが分かっただけで、小説もピアノも芝居もみな中途半端な印象しか有りませんが)。
 漫画では諸星さんの各作品にプロットには相当色濃く反映していることがやっと分かりました。稗田妖怪ハンターシリーズに異界から異形のものがやってくる話は、ほとんど原型はクトゥルフ神話そのものですね。しかもガメラのような分かりやすい造形のモンスターではなく、ショゴスのような原形質が半分だけ固まったような、ぐずぐずした塊の怪物が多いのも、ラヴクラフトの影響かもしれません。ン・ヴァギとかもこの部類でしょうか。以外なのはパタリロの魔夜峰央とか士朗正宗なんかも部分的に影響されているんですね。
  音楽というかロックでは、メタリカのThe Call of Ktulu/メタリカ(『Ride the Lightning』収録、1984年)とThe Thing That Should Not Be、人間椅子の陰獣(『人間椅子』収録、1989年)、水没都市(『黄金の夜明け』収録、1992年、狂気山脈(『黄金の夜明け』収録、1992年)、ダンウィッチの怪とオンパレードです。
 マクタロウさんからは、ブルー・オイスター・カルトも影響大と教わりました。いままで歌詞にあまり注意を払っておらず、悪魔イメージを援用しただけのブラック・サバスやユーライア・ヒープと同類と思い込んでいたのですが、そこはやはりニュー・ヨークのインテリやくざロッカー、もっと深いものがあったのですね。アルバム『Secret Treaties』に収録されたドラマーのアルバート・ブーチャードが書いた曲「Astronomy」と「Subhuman」は、別の天体から来た人間で無いもの、を歌っているそうです。ジャケットのMe262やヒトラーのイメージがちょっと焦点をぼけさせてしまった感が有りますが、マクタロウさんによれば、ドイツの外相ディスディノヴァが、ヒトラーの命により地底王国との密約を交わした。彼は暗黒の知識をラブクラフトから得た。というのがブルー・オイスター・カルトのサードアルバム「Secret Treaties」のコンセプトだそうです。
また後にアルバム『Imaginos』の企画は、プロデューサーのサンディ・パールマンがラヴクラフトの影響で作成したものだということですが先の二曲も改題されて収録されています。こちっはまんまラヴクラフトの世界っぽいですね。
 

Imaaginos

<映像作品>
映画ではそのものずばり原作の映画化や改題も多数あります。

「怪談呪いの霊魂」(チャールズ・デクスター・ウォードの事件参照)(1963年)
「悪霊の棲む館」(「宇宙からの色」の映画化)(1965年)
「太陽の爪あと」The Shuttered Room(1967年)  上記3作は全く知りません。
ダンウィッチの怪」(1970年) これは昔TVでもやっていました。DVDは無いのですね。主役は後に「デューン砂の惑星」などでデヴィッド・リンチ作に出るディーン・ストックウェルです。60年代サイケの残り香があって、怪物のシーンは確かペロペロ・キャンディーみたいな画像がぐるぐる回転していたような記憶があります。製作はロジャー・コーマン。お金を出してまで観たいとは思いませんが、ビデオのDVD版でもあればもう一度見てみたいものです。

「Lemora(英語)」(1975年)  未見です。

「死霊のはらわた」(1981年)
「死霊のはらわたII」(1983年)
 これはサム・ライミのゾンビ映画。「死の書」が出てくるのがラブクラフトとの関連?
「地獄の門」(1980年)
「ビヨンド」(1981年)
 これはルチオ・フルチのゾンビ映画。あほフルチとラヴクラフトは関係無いと思いますが、「地獄の門」は舞台がダンウィッチだそうで、「ビヨンド」には「死者の書」が出てくるそうです。

「ZOMBIO(ゾンバイオ)/死霊のしたたり(RE-ANIMATOR)」(1985年)
「フロム・ビヨンド」(1986年)
「死霊のしたたり2 THE BRIDE OF RE-ANIMATOR」(1991年)
 上記はB級とはいえ、スプラッター嫌いの私ですら、のめり込んだガイキチ映画です。「ZOMBIO/死霊のしたたり」は製作 ブライアン・ユズナ、監督 スチュアート・ゴードン、「死霊のしたたり2」は監督もブライアン・ユズナ、「フロム・ビヨンド」は監督スチュアート・ゴードン。どれもエログロ・ホラーです。
 基本的には「死霊のしたたり-1.2」は、「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」が元ネタです。しかし原作「ハーバード・ウエスト」は連載形式にラヴクラフトが慣れていなかったそうですが、やや駄作ですね。映画はほとんどぶっ飛んだ末、ホラーがギャグになったような怪作でしたが、プロットだけ原作から借りただけなんでした。「フロム・ビヨンド」の原作は8ページの短編「彼方より」。なお下記右端写真は死霊のしたたり、2003年の続編!

スチュアート・ゴードン/1985 スチュアート・ゴードン/1986 ブライアン・ユズナ/1989 ブライアン・ユズナ/2003

 ラブクラフトも生前は評価されず、同様に死後、プロットだけ換骨奪胎して使用されて人気の出たSFのフィリップ・K・ディックに近い気がします。ディック原作の映画は駄作が多く、秀作は唯一リドリー・スコットの「ブレード・ランナー」だけがありますが、ラブクラフト原作の映画はろくなのが無い気がします。
 「ネクロノミカン」は未見なんですが、げろげろのブライアン・ユズナだけでなく、金子「ガメラ」修介やクリストフ・「ジェボーダンの獣」ガンズも監督してるのでまとものようです。ただ知人にして映画評論関係の青井さんによれば、日本のTVドラマのほうが「らしい」。しかし近所のレンタル店ではこういうマイナーホラーはどんどん在庫しなくなってきました。
 オムニバスが傑作というのは、エドガー・アラン・ポーにも近いところもありますね。ロジャー・コーマン製作のポーもの映画は「赤死病の仮面」にしろ全部いまいちで、結局ロジェ・バディムやらが監督したオムニバス映画「世にも怪奇な物語」だけっすもんね、ポー映画で傑作と言えるのは。

 さて「RE-ANIMATOR」シリーズでハーバート・ウェストを演じていたのがジェフリー・コムズ。変な俳優さんです。ま、ろくな映画には出ていませんが、TVドラマ「スター・トレック」ではゲスト俳優としては重用?され、いろんな宇宙人役で出ています。一番印象深くかつ寂しいのは、青い顔のシュランでしょうか。アンテナみたいな吸盤がおちゃめにくるくると廻るのですが、怒りっぽくてすぐに暴力を振るいます。ここまで来るとなにやら哀愁も漂ってきます。
http://www.jeffreycombs.com/home.php
  ヨーロッパならウード・キアー、我国なら故・岸田森とかがこういうポジションの俳優さんでしょうか。
 あとこの死霊シリーズ?、半分はバーバラ・クランプトン人気(=脱ぎっぷりの良さ)に支えられていたんでしょう。でも私、あの女優さん、ちっとも美人には見えませんでした。ところが今回この文章を書くにあたってYOU TUBEで「死霊1」「死霊2」を部分的に見直したんですが、バーバラ・クランプトン=メグはゴードンが監督した「1」と、別もののフロム・ビヨンド」にしか出ておらず、ユズナ監督の「2」に出ている「心臓だけメグ」はクランプトンではなく、レイア姫が最初から40歳になったみたいな相貌の方でした。ファビアナ・ウーデニオ(フランセスカ・ダネリ役)か、キャスリーン・キンモント(グロリア役)のどちらかだと思いますが、はっきりしません。でもって、クランプトンはなかなかかわいかったです。20年以上も前に見ただけなので、記憶がごっちゃになっていたようです。


「ヘルダミアン/悪霊少女の棲む館」The Unnamable(1988年)
「Dark Heritage」(1989年)
「新・悪魔の儀式」Cthulhu Mansion(1990年)
「SFXハードボイルド/ラブクラフト」(1991年)
「ヘルハザード・禁断の黙示録」(チャールズ・デクスター・ウォードの事件参照)(1991年)
「ダークビヨンド/死霊大戦」The Unnamable II: The Statement of Randolph Carter(1992年)
「キャプテン・スーパーマーケット/死霊のはらわたIII」(1993年)
「地底人アンダーテイカー」(1994年)
「ネクロノミカン」(1994年)  以上未見。ネクロノミカンは上記コムズ(青井さんによれば、なんとラヴクラフト本人の役だそうです。でも似ていないらしい。嶋田久作のほうがよっぽど似ているそうな)の他、クリストファー・ガンズのようなちゃんとした俳優さんも出ています。
マウス・オブ・マッドネス」(1994年)
 これはB級映画の帝王、ジョン・カーペンター先生の傑作です。サム・ニールが主役。ただし、なぜか大好きなカーペンター先生の作品の中では個人的に影が薄いのです。

「魔界世紀ハリウッド」(1994年)
「キャッスル・フリーク」(1995年)
「ガメラ2 レギオン襲来」(1996年)
「ヘモグロビン」(1997年)
「The Hound」(1997年)
「Cool Air」(1999年)  以上ガメラ以外未見。
「ナインスゲート」(1999年)
 スプラッターの正反対、心理ホラー&サイコの名手、ロマン・ポランスキー監督作。主演はジョニー・デップ。佳作です。原作はアルトゥーロペレス・レベルテ という方の作品で、直接的にはラヴクラフトとは関係ありません。、「影の王国の九つの扉」というサタン召還の黒魔術の秘密書籍が、ネクロノミカンからのアイデアなのかそれともキリスト教の邪教に別のルーツがあるのか私には分かりませんが、仕掛けとしては同工異曲です。なお原作は三銃士のデュマも出てきて、オカルトだけの話ではないようです。ポランスキーは映画化に当たって、そういうアカデミックな面は大幅にカットしてしまったそうです。
「Cthulhu」(2000年)
「玩具修理者」(2001年)
「DAGON」(2001年)  未見ですがスチュアート・ゴードンが監督した「インスマウスの影」だそう。
「Beyond Re-Animator 死霊のしたたり3 」(2003年)
 およよ、シリーズモノは数多くあれど、こういう怪作でも-3があるとは!再びユズナ監督、ジェフリー・コムズ=ハーバート・ウェストのコンビです。これまた未見。上のコムズの顔の一番左端が輸入版のジャケットです。
「ゴジラ FINAL WARS」(2004年)
「The Call of Cthulhu」(2005年)
「Mortuary」(2005年)
「バリケード」(2007年)
「Closet Space」(2007年)
「Cthulhu」(2007年)
「H・P・ラウ゛クラフトのタ゛ニッチ・ホラー その他の物語」(2007年) 未見ですが日本の品川亮という監督(スタジオ。ヴォイスの編集長)による人形劇だそうです。「家の中の絵」、「ダニッチ・ホラー」、「フェスティバル」の3作品を収録。
「The Whisperer in Darkness」(2009年)

「ヘルボーイ」
「ヘルボーイ・ゴールデンアーミー」
 マイク・ミニョーラという作家のアメコミ原作をギレルモ・デル・トロ監督が映画化。ラブクラフトとの関連はこれまたマクタロウさんからご教示。トロール市場にはデル・トロ監督らしいお遊びで、「狂気の山脈にて」に登場するモンスターを登場させているということ。ええ、気が付かなかったよ(って、ラブクラフトを読む前だから当たり前)。なおこの作品はデル・トロ監督の手によって映画化が決まっておりましたが、企画が進んでいたけど「ホビット」が入ったために棚上げになったそうです。ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」における南極の恐怖も凄かったですが、デルトロによる白い恐怖と、旧支配者の造形がお笑いにならないならば一体どうなるのか、楽しみだったですけどね。ここらへんの経緯はマクタロウさんの奥様マクノスケさんも私と同様だったようなので、リンクを貼らせていただきます。
http://hellboy.exblog.jp/1030351/
ヘルボーイ映画公式サイト

テレビドラマ
「インスマスを覆う影」  佐野史郎が出た奴。テレビドラマにしては秀逸だった気もしますが、私、佐野さんの演技の下手さがだめなので、ドラマ自体の評価が辛いのです。


※ウィキペディア
・ハワード・フィリップス・ラヴクラフト
ネクロノミコン
クトゥルフ神話

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長野亮之介 個展

長野亮之介「百顔繚乱展」

都立三鷹高校時代の同級生、長野亮之介の個展です。
三鷹高校卒業後、北海道大学に渡り農学部在学中冒険野郎になり
卒業後、冒険家&イラストレーターになりました。

 聞けば前回の催しは書店の原画展だったので、個展と呼べるものは50歳になって初めてだそうです。遅すぎじゃね?
似顔絵は読売新聞の夕刊「銀幕一刻」という連載記事のイラストでした。私はナベツネが嫌いなので読売新聞を取っていないため、まったく彼の連載については認知していないのですが(会社でも全国紙、日経、日経産業、日系流通などは朝刊しか取らないし)、読売の読者なら、きっと「ああ、あの」と思われるのでしょう。珍しく宣伝タイアップ等の編集部要請が無いので、「こちとら自腹じゃ!」で好きな映画を見て好きな作品のコラムとイラストを描いているそうです。これってイマドキ非常に貴重な仕事ですね。もしも連載が本になっていれば、某女性誌でブレイクした石川美千花ばりの人気イラスト・ライターになっていそうなもんですが、どっこい長野の選んでいる映画が渋過ぎなので、そうは問屋が降ろさないようです。

 上のイラストは案内状なんですが、私だけでなく他の同級生からも「似ていない!」とい声があったそうです。私ももしかしたら「いい意味でのアマチュアリズムを保って描いているから、似てる似てないを問うてがいけない似顔絵」なのか、とも思っていました。しかし、長野の絵が下手なのではなくて、
1)下の写真(バッファロー‘66)を見ていただければ分かるように、もともと顔だけのアップではなく、A4サイズのシーン全体を描いたイラストのアップなので、衣装や小道具、背景といったアトモスフィアを伝える情報が無くなっているため、誰か分かりにくい。

2)彼は高校時代から年に何百本も映画を見る「映画見巧者」なんですが、冒険家でもありミーチャンハーチャンしていないので、マイナーでヒューマニティックなセレクトが多いせいか、そもそも似ている似ていない以前に、なんという映画のなんと言う俳優か、我々見るほうが知らない。

 ということが、会場に行って分かりました。私は硬くて真面目で泣ける映画とか、自然を描いた映画とかはほとんど見ないため、長野のピックアップした作品のうち、見たことがあったのは「下妻物語「バッファロー‘66」「ゴースト・ワールド」「あずみ」「踊るマハラジャ」くらいでした。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に至っては最初の30分でつらくなってしまったくらいです。一方、私が好むディヴィッド・リンチとかピーター・グリーナウェイ、テリー・ギリアムとかいったアート系の作品やSF映画などは彼のラインナップには余り無いようです。
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 ジェフ・ベック&エリック・クラプトン

HPおよびMIXIのコピペです。個人サイトとMIXIがあるとブログは個人的に利用価値が低くなってしまいますね。ツイッターの利便性はまだ全く分かりません。

行ってきました、ベックとクラプトンのジョイント・コンサート。私も年のせいか、さすがにアドレナリンやドーパミンが出て酔いしれるよいう状態にはなりませんでしたが、なかなか良いコンサートでした。ジミー・ペイジはカバーデイル&ペイジ、ペイジ&プラントで見ているので、やっと三大ギタリスト(死語)全員のコンサートを体験したことになります。

 第一部ジェフベック。ベースのタルちゃんは噂どおりかわいかったです。ベースのボディの上にちょうど右のおっぱいが乗っかる形になるんですよね。でも出じゃばることがなく、いたって地味でした。サービスは、フリーウェイジャムだったか、タルのベースをベックと二人で弾くというアクロバット奏法。上の1、2弦をベックが両手で弾き、下の3、4弦だけタルちゃんが弾くというもの。パパと娘って感じでした。
 私、ベックを見るのは初めてだったのですが、ライブ見て納得したのは、ベックの曲(というか彼のフレーズ)はフィギュアスケートなどと同じく、ぎりぎりに練習を重ねてやっと初めて演奏可能な超絶技巧曲だということでした。良くミスが多いと言われますが、本人でも完璧に弾けるのは、最高のコンディションのときだけなんでしょう。人によれば「レッドブーツ」の完奏率は50%だとか。あとはCDでは分からなかったのですが、「Angel」ではボトルネックでスライド奏法をするだけででなく、指のかわりにボトルを弦にこすって微妙なサウンドを出すという離れ技を披露していました。
 最近のアルバムの曲中心に、フリーウェイジャム、レッドブーツ、悲しみの恋人たちなど古い曲もやってましたアンコールはピーターガン。これはかっこいい。ロニー・スコッツ・クラブ・ライブと大体一緒でしょう。CDには入っていませんが。

 第二部、クラプトン。一曲目と二曲目レイラまでをアンプラグドでやり、そのあとはストラトに持ち替えて、ブルース中心で約1時間。往年の曲はコケインとクロスロード(キーが高いバージョン)くらい。クラプトンのブルースはうまいかわりに味が無い気がしていたのですが、今回はソロも長くけっこう力が入っていた感じ。

 さてお待ちかねの第三部ジョイントコンサートは、オールメンバーではなく、クラプトンのバンドにジェフが参加という形。やはりブルースが中心。あとはクリームのバッジだったかな。オールドブルースは曲名を知らないのでセットリストが書けないのですが、それ以外にもブルースではないけどロックの曲もありました。互いのソロを取りあうのではなく、二人でユニゾって引くという、都内スタジオでの秘密練習の成果も有り。都合40分程度でしたか、親父ロックを十分堪能しました。
 席は2階席の後だったので前のほうは見えませんでしたが、多分最前列のお客には布袋寅泰とブライアン・セッツァーは来ていたと思います。布袋のブログに書いてありましたので。

 クラプトンは過去にも何度かライブにいったことがあるし、さほど好きじゃないのでベックの単独公演という手もあったのですが、やはり二度おいしいジョイントにしました。お金は非常に高い。しかしクラプトン1万1千円+ベック1万円=2万1千円×演奏時間二人合計で4時間が合計3時間んあるので約70%=大体17,000円と自分を納得させました。呼び屋のUDOも両方にギャラ払わなければいけないので、大儲けにはならないでしょう。それと洋楽ライブは、ほぼ1年前のコラシアム以来なので、かみさんに無理やり納得していただきました。この前がもうさいたまアリーナは初めてだったのですが、ドームとしてはまあまあのサイズ。席はほぼ満席でした(私の居た2階席にちらほら空きがあるくらい)。今日の日曜も当日券が出ていますが、不入りなのではなく、本当に若干の空き席まで売って、かせげるときに稼ごうという腹なのでしょう。


ところでセットリストが分かりました。

第一部:Jeff Beck


The Pump
You Never Know
Cause We've Ended as Lovers
Stratus
Angel
Led Boots
Goodbye Pork Pie Hat
Brush With The Blues
JEFF & TAL Solo(inc~Freeway Jam) ※これが一本のベースを二人羽織弾きした曲
Blue Wind
A Day In The Life
(Encore)
Peter Gunn Theme

第二部:Eric Clapton

Driftin'
Layla (以上2曲はアンプラグド)
Motherless Child
Running On Faith
Tell The Truth
Little Queen Of Spades
Before You Accuse Me
Cocaine
Crossroads

第三部:Clapton & Beck

You Need Love (オールドブルースbyマディ・ウォータース)
Listen Here/Compared To What
Here But I'm Gone
Outside Woman Blues (クリームの曲)
(Little) Brown Bird (オールド・ブルース)
Wee Wee Baby
Want To Take You Higher (スライ・ストーンの曲)

Leaf

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2008年6月28日 (土)

Van der Graaf Generator 初来日ギグ

1969年にピーター・ハミルを中心に結成されたVan der Graaf Generator が、約40年たって初来日しました。個人的にはキング・クリムゾンのメタル・ヌーヴォー時代と対を為す、プログレッシブ・ロックの極北と思えるほどのすごいバンドです。ハードでソリッドなドラムとオルガンの音色と、狂気と知性の間を行き来するハミルのヴォーカル、時には鋭いリフ、時には叙情を奏でるデヴィッド・ジャクソンのサックスが、破綻しつつコラボレートしていました。ただバカテク・バンドではないため、クリムゾンやイエスのような人気は出ず、ワールドワイドでも本国のほかはイタリア人に受けただけ。日本でも今イチで(日本のプログレ・マニアはへヴィなサウンドではなく、オーケストラロックみたいなのが受けやすい)日本人のファンが何人いるかは分かりませんが、2千人もいるかどうか。私は高校生の頃、「RED」と「GODBLUFF」がへヴィローテーションでした。暗く重く、捩れた叙情と知的なサウンド、この条件を完璧に満たすバンドはクリムソとVDGGを置いてほかには無かったのです。                                                      2008062f282f912fb00093915f12522362e  初めて聞いたのは、1975年に再結成した後のGODBLUFFからです。このアルバムが一番ハードでへヴィなこともあり、マイフェヴァリットです。ピーター・ハミル本人の一番の自信作でもある。その後のSTILL LIFE、WORLD RECORD三部作が個人的ベスト。ただし古くからのファンは、最初の解散前のPawn Heartsが最高としています。確かにこのアルバムには名曲も多いです。ただ、このアルバムまでの第1期VDGGの昔のLPは音質が悪く、かなり損をしています、なお1stのエアゾールグレイマシンは演奏、音質ともに最低で後のバンドの片鱗がうかがえる程度。本国では正式発売されませんでしたので、ジェネシスにおけるアルバム「創世記」同様、本質的には1stではなく、プロのミュージシャンになるためのデモ盤といった位置づけでしょう。  さてハミル自身は1986年の初ソロ来日以降、かなり日本でライブを行っているが、VDGG自体が1978年に解散してしまたっため、今までの日本公演は総てソロかデュオでした。私は1986年に、いまはもう無くなった渋谷のLIVE INNでの初ソロに行きました。。VFGGはほとんどのアルバムを聞いていましたが、ソロ作は当時は2,3枚しか持っておらず、知っている曲がほとんど無かったので、ハミルの異様なほどの集中力にただびっくりしただけのギグでした。さらに全席立ち見で、消防法無視の客いれのため、会場は芋の子を洗う状態、酸欠で死にそうになったことを覚えています。  その後、ハミルはずっとソロで活動、ミュージックビジネスのオーバーグラウンドに出ることは一度も有りませんでした。しかし、2005年に奇跡的にVDGGが再再結成、Presentというニューアルバムと2007年に発売されたReal Timeというライブ・アルバムで、同窓会ではない現役バリバリのすごさを見せ付けてくれました。  残念なことに、2006年にサックスとフルートのデヴィッド・ジャクソンが脱退。VDGGの実質的なリード楽器は、ハミルのピアノと、ジャクソンのサックスだったので、これには大変がっかりしました。せっかく奇跡的に来日が実現したのに、バンドの魅力が半減するのではないか、と危惧していましたら、再々結成後の2枚目のニューアルバム「TRICECTOR」が、その懸念を払拭する素晴らしさでした。ハミルはピアノを演奏する時間を半分に減らし、かなりのパートでギターを持ち、mたバントンはリズム隊側だったのが(ベースが居ないバンドなので、バントンのベースペダルがリズムの支え)から、かなりリードも取るようになり、よりハードなロック色の強いアルバムとなりました。20年以上前のハミルのソロ「ネイディーアズ・ビッグ・チャンス」は、知性の人ハミルによるパンク・ロックへの回答だったのですが、少しあの感じが匂っています。とても60歳のジジイの音じゃない。非常に攻撃的な曲と変態バラードがサンドイッチになっていました。  それでも古い曲はサックス抜きのアレンジでだいじょうぶかなあ、ハミルのソロは激しいけれども、ピアノだけで単調なため、余り好きじゃない私ですので、かなり心配でした。  さてチケットは初日2008年6月27日金曜日のをを買いました。初日は移動の疲れや、練習のブランクなどで、どのバンドもいまひとつ、のことが多いのですが、土日に余り外出できないからいたし方無かったのです。また、招聘した有限会社 Office Ohsawa には感謝しても仕切れないくらいですが15,000円は一般的に言えばかなりの高額。ファンが少なく興行的にきついのは分かりますが、しかし好事家ならばいかな高値でも買うであろうという心理に付け込まれているのもまた事実。 http://www.bigstream.co.jp/artist/0806_vdgg/index.html                                     Vdggnow  会場の渋谷O-Westは初めて。円山町のラブホテル街のど真ん中ですね。会場脇のAMPMにたむろする渋谷のギャル(死語)達と、70年代ロックのここ10年のコンサートの定番、むさい親父ばっかりの客のアンバランスがおかしかったです。  さて曲の順番はしっかりとは覚えられませんでしたが、ハミルのソロ曲は無く、基本的には全部VDGGの知っている曲、つまりジャクソン在籍時の過去の代表曲とニューアルバム「Trisector」からの新曲がほぼ交互で半々でした。 代表曲からは、チャイルド・フェイス・イン・チャイルドフッドエンド、キラーズ、スコーチド・アース、スリープ・ウォーカーズ、ダークネス、レミングス、レフュジーズと、ほぼ再結成ライブ、Realtimeに収められていた曲でした。キラーズはたしか1曲目、スコーチド・アースも前半だったので、ところどころ初日にありがちな、ミスや微妙な呼吸の乱れがあり、また聞く方としても、ジャクソンのサックスの欠落感を感じてしまったのですが、大半はバントンのオルガンがサックスのリフを再現、曲によりハミルがギターでリード(と言えるギターの腕前ではないかもしれないが)を取り、また音色を変えるために慣れないペダルの踏み換えを神経質にやっていました。後半の曲は素晴らしいの一言。特にラストのレミングスは味わいのひとつであるハミルのヴォーカルの破綻も無く、ほぼ完璧な演奏でした。サックスなど最初から無かったような新しいアレンジも見事。ハミルの声は良く通りしかも声量が衰えていない。もちろん若い頃同様、感極まると音程がすっ飛ぶところも変わらない。 個人的にはArrowが聞きたかったなあ。Godbluffの曲はアグレッシブなんで大好きなんですが、PawnHearts以前、再結成前の曲であるレフュージーズやレミングスは1曲のなかに、ほとんど別メロで、泣きのバラード、静謐なインストゥルメンタル、ハードなメロディが組曲型式で入れ子になっているため、ライブだとより陰影がくっきりして、かっこよく聞こえました。  Trisectorからはインターリファレンス・パターンズ、ライフタイム(老境に差し掛かるハミルが歌うので、心に沁みたあ)、オーバー・ザ・ヒルス、オール・ザット・ビフォー、(ウィー アー)ノット ヒア。いずれもハードなアタックとフリー・フォームな掛け合いが新鮮でした。惜しむらくはオンリー・ア・ウィスパーがこの日は無かったこと。落ち着いていながらもながらメロもはっきりしていてかっこいい曲なのに。アルバム同様、へヴイでアグレッシブな曲とバラードをほぼ交互に演奏していました。あのテンションではハミルも体力が持たないでしょう。 アンコールは、ナッター・アラート。これまた、割と分かりやすい下世話なほど演歌っぽいへヴイ・ロックですが、知的な人達が演奏すると、非常に複雑な融合が成立します。2時間弱で決して長い演奏時間ではありませんが、高校生の頃から30年間愛して止まなかったバンドのギグを見ることが出来て、生涯最良の日のひとつに数えられる思い出となりました。                          <関連リンク>タダならぬ音楽三昧 http://invs.exblog.jp/8198582 ピーター・ハミル ブログ http://inverse.exblog.jp/                                   B0009391

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2008年2月24日 (日)

カート・ヴォネガット タイムクエイク

米国を代表する(はずの)作家、カート・ヴォネガットが2007年に亡くなったことをずいぶん後になるまで知りませんでした。2008年になって、「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」という初期短編集(モンキー・ハウスへようこそ の姉妹版)が文庫で発売され、ヴォネガットの作品を本当に久しぶりに読んだと同時に、後書きでその死を知った次第でした。

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アメリカの作家、いや自分の読む作家のなかでも最も敬愛する一人だったはずなのですが、1990年の「ホーカス・ポーカス」以来、17年間ご無沙汰だった計算になります。「バゴンボの嗅ぎタバコ入れ」の後、手じかに有った59年の「タイタンの妖女」と75年の「スラップスティック」を読み直しました。

 さらに1998年に出た「タイムクエイク」を読み忘れていたことに気づき、ハヤカワ文庫を探しましたが、ヴォネガットは未だにSF文庫から出るため、SF不人気の昨今では、そこらの本屋では在庫切ればかりでした。

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 読み始めたら、ヴォネガット節の炸裂で、本当に懐かしくまた楽しいひと時を過ごせました。村上春樹の中期までは、部分的にヴォネガットの真似だったことが良く判ります。たとえば「チリンガ・リーン」。

 印象的だったのは、南北アメリカの先住民は16世紀に欧州人が侵略する前に1400万人ほどおり、20世紀にはその10%程度しか生存していないという挿話。数値の信憑性はわかりませんが、それを信じれば、ホロコーストのうち歴史上最大と言っても過言でないのは、はナチスユダヤ人虐殺、アメリカの原爆、スターリンの粛清、毛沢東の文化大革命ではなく、アングロサクソン達によるアメリカ先住民、特に北米のネイティブ・アメリカン虐殺だということになります。西部劇とか騎兵隊とかいって、それを誇らしげに未だに思い続けるアメリカ人の傲慢さとは一体なんなんでしょうか。

 もうひとつはヴォネガットが好きな映画。一番は「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」、二番目が「イヴの総て」、三番目が「カサブランカ」ということが判ったことです。

 この作品の前作「ホーカス・ポーカス」の内容は忘れてしまったのですが、「タイムクエイク」は、ヴォネガットの作中人物であり、彼の分身でもあるキルゴア・トラウトが大活躍し、あまつさえ、ヴォネガット本人と会話をするなど、ヴォネガット作品の総集編の様相を呈しています。

 またトラウト作!の短編が、タイムクエイク(時間の地震)で止まった10年間の前後に、計算づくなのか無秩序になのか、たくさん散りばめられ、時間軸の構成としてはかなり複雑なメタフィクションになっています。筒井康隆の「虚構船団」は今思うとメタフィクション足ろうとしてかなり生硬な出来だと思いますが、ヴォネガットはそこらへんがとっても柔らかい。しかし複雑さはかなりのものです。

 遺作のエッセイ「国の無い男」は、爆笑問題の太田光推薦という帯付で出ていますが、これは小説ではなく、エッセイなので1600円強の出費は控え、文庫になったら読んでみようと思います。

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横山大観

新国立美術館の横山大観展を見てきました。
http://www.asahi.com/taikan/exhibition/index.html
我が朝のゲイジツにはじつはあんまり興味が無く、日本画といえば、古い時代の琳派と、もっと最近の加山又造とか工藤甲人しか知らず、明治・大正・昭和の巨人 横山大観については、その代表作も知らない始末。
 なんでそれでも見に行ったかというと、70過ぎの母親が、お友達が別の人と行くことになったので、新聞社からもらった只券が余ってしまうからと珍しく声をかけてきたからなんです。
 横山大観は多分ものすごく精力的な人なんだと思いました。西洋絵画の技法も吸収しつつ、古典的なスタイルや画題でも描くし、落ち着いた画風から破格を恐れないアバンギャルドな作風もあり、またテクニックを誇示したものから、かなり俗っぽいテーマがあったり、逆にまるで絵本の挿絵みたいな素朴な絵まで、焦点がつかめない巨人だと思いましたね。印象的なのは、松や柳を描く緑色。緑青がベースなんでしょうか、尾形光琳のビビッドな緑ではなく、やや明るく彩度の低い緑。これが好きなようで、繰り返し使われていました。
 結局好きにはなれない絵ではありますが、通と俗を超えたお方であることだけは判明。

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2008年2月 4日 (月)

城塞

この赤土の丘陵の上に建つ城で過ごした日々は夢だったのか

夜警が誰何し、それに答える者たちの相貌の記憶は曖昧だ

脂の燃える嫌な匂いを放つ篝火に照らされて

崩れかけた煉瓦の壁に横たわる我が身からは

既に若い頃の力は失われている

明日の朝を迎えれば墜ちる定めの城と王国に未練は無い

己の流離の人生にも省みるべき何事も無い

惜しむらくはこの世に我が身の生きた証を何も残せなかった

人生は危ういバランスの上の細い一本の糸

どこに有るのか、それを探して彷徨う一生の最後に

探し物は結局自分の中に有ること悟った時は

落城を前にした最後の夜だった

恐らくは王であろうと娼婦であろうと

城塞の内に住まう物はなべて

結局は己が最後に瞬間にしか

その事実に気がつかないだろうが

自らもまたその陳腐な定めにとらわれていたことに

苦い笑みを浮かべながら

刃の毀れた剣に最後の油をそそぐ

人生はまばたきのごとく脆いもの

現れた時は知らず、消えるときのみ知覚できるもの

そろそろと白み始めた東の空に

苦い後悔の念だけが拡がっていく

終わりの始まり

赤い獣脂の篝火だけが

私の横顔を照らしている

城塞のひとびとは消え行く定め

篝火は朝の光に消え行くもの

終わりの始まり

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2006年9月17日 (日)

国宝 風神雷神図屏風 ―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造―

出光美術館で開催していた「国宝 風神雷神図屏風 ―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造」という展覧会を見に行って来ました。

http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html

                                              Ticket_5

江戸初期に、俵屋宗達が残した最高傑作、国宝「風神雷神図屏風の完成のおよそ七・八十年後に、宗達を慕い琳派の後継者を自負した同じ都の絵師・尾形光琳によって、模作がつくられていますそしてそこからさらに一世紀ほどを経て、幕末に東国江戸で琳派を再興した酒井抱一が、あらためて光琳画から模作をつくりました。これら三つの作品を一堂に展示しています。素人の直感的な感想は、やはり初代宗達が一番いいです。模写した光琳、それをまた宗達の模写と知らず模写した抱一と、時を経るごとに、二人の獣神が漫画チックに変容していくさまが面白かったです。ただこれをDNA模写のようにだんだんオリジナルが劣化していくと見るのは早計で、宗達の作品は色もあせており古色がつき、素人にはなんとなく有り難く見える側面も有ると思います。平安時代の東大寺が赤緑と金箔で覆われ完全に中国風デザインのコピーだったさまをいまの我々が想像できず、かつそのさまには恐らく敬意を払えないであろうことと同じです。

 逆に光琳はやはり「かきつばた」の豪華絢爛な屏風のほうが名作ですね。風神雷神はたぶん自分の心覚えのための模写だったんでしょう。なお宗達は扇子屋さんを経営するデザイナー、光琳は公家、大名、役人など、多くの庇護者やパトロンをもつ欧米と同様の中世の絵描きの典型、抱一は大名家の次男で光琳に私塾し江戸琳派の創始者といわれますが、すこしだけ作品を見た限りでは「まじめな研究者・愛好家」の域に留まっているようにも思えます。出光美術館の収蔵品に抱一の「かきつばた図」が有るのですが、写真で見る光琳のかきつばたより鮮度が数段落ちて見えました。

 私が特にこの展覧会が素晴らしと思ったのは、その三代の絵師の作品をただ並べるだけでなく、あるいはただ研究者の記録を文字データで掲示するだけで終わらせず、私らのような素人にも充分知的好奇心を満足できるよう、よく考えたプレゼンテーション手法が施されていたということです。三人の絵師の作品はそれぞれ部分ごとにアップ写真パネルを掲示、同異を解題してあったり、文字情報を単なるプリンタ出力パネルではなく、紗がかった布のタペストリに印刷したり、先に三作品を見せておき、そのあとゆっくり解題するという構成で、導線も工夫されていました。

 国営の美術館が海外の有名美術館の作品レンタルで汲々とし収蔵作品展に工夫が少ない中、あるいは東京都写真美術館や水戸芸術館がキュレーターのセンスによるエッジの立った先鋭的テーマを行い素人感覚と乖離しがちなのに対し、一見地味ながら、知と美をきちんとリンケージしたこの試みはとても新鮮でした。これからの日本の美術館のベクトルを示唆するとまで言ったらおおげさでしょうか。

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2006年9月 9日 (土)

「優しい魂よ」

Eiki202 2005年8月9日に他界した父の遺稿詩集「優しい魂よ」が出版されました。 http://ryukyushimpo.jp/info/storyid-15928-storytopic-22.html

(以下、琉球新報記事より)

 2005年8月に亡くなったH氏賞受賞詩人で、山之口貘賞の選者を28年間務めた知念榮喜氏の遺稿詩集。知念氏が、亡くなる直前までつづった手書き詩集を基に作成。表題作を含む17作品を収録しています。研ぎ澄まされた感性から沸く、切迫したリズム感、澄み切った生の鼓動が、あふれています。
  高見順賞を受賞した詩人で作家の辻井喬氏(本名堤清二)が「知念榮喜の人と作品」、現代詩花椿賞受賞の詩人・高貝弘也氏が詩「汀のひとよ―知念榮喜翁の魂に」、歴程新鋭賞受賞の詩人・田野倉康一氏が「血のなかの産土―知念榮喜の詩集をめぐって」をそれぞれ寄稿しています。

琉球新報社発行 価格2,100円(税込) ISBN 4-89742-175-X 判型B5判107ページ 2006年7月発行

相当数の原稿は10年以上前から暖めていたはずですが、前回の詩集を出した神戸の出版社が原稿を預かったまま、売れないと予想し、塩漬けだったのです。父の死を期に、父がずっと「山之口獏賞」の選考委員を務めていた関係で主催している琉球新報社さんが出版の意向を示してくれたのでした。とはいえ100部買取が条件ですから自費出版でこそ無いものの詩集は商品にはなりえないですねえ。

父も死を予感していたのか、手作りの生原稿の綴りを、家(私の母親)と父を師匠のように慕ってくれた田野倉さんという在京の詩人、それに山之口獏賞受賞の在沖詩人与那覇さんの三人に生前渡しており、これをもとに原稿を作る作業が始まりました。今回は与那覇さんの馬力で辻井喬氏の寄稿を得ることが出来、また田野倉さんの絶大なる尽力のより父の年譜が出来ました。なお、私自身はこのプロセスにはまったくかかわっておりません。ここでお二人には心から感謝を表したいと思います。

与那覇さんには申し訳ないのですが、田野倉さんが喝破されたように、父はやはり沖縄という幻の故郷を心の中に求めた彷徨の人であり、決して沖縄の土着性とは無縁の人でありました。またありがたいことに、年譜を作成していただいたおかげで、断片的にしか聞いていなかった交友関係や日本浪漫派との関わりが分かったことです。生前には聞いてもつながらなかったのに不思議なことですね。

ご希望の方は琉球新報事業局出版事業部098-865-5100へ。

ご連絡いただければ私からも著者買取分を定価で発送できます。

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http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-ISBN=489742075X

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