カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2009年3月28日 (土)

ユリイカ 特集 諸星大二郎

雑誌ユリイカ、いったいいま何千部が配本さえているんしょうか、私自陣多分20年ぶりくらいに買いました。なんたって雑誌タイトルのサブキャッチが「詩と批評」ですからね。ほぼ死語の世界です。30年前ならたまに親父の詩が載ることも有ったように思いますが、それでも当時からブッキッシュというか、ペダンチックな編集でしたね。
何で久々に買ったにかというと、大好きな漫画家の諸星大二郎特集で、諸星さんへのインタビューが掲載されていたからです。実は長野は生まれただけでほとんど荒川沿い育ちだとか、初期短編(正直言ってつまらないですけど)もあり楽しめました。
 反面、巌谷国士の「批評」にしても、夏目房之介他の対談にしても、ぬるい。記事(対談)を依頼されたから、こなしてます、というレベル。MBA系ビジネス文書などの訓練など私もちゃんと受けている訳ではないですし、普段の文章もかなりトートロジーやらループっぽくなる私ですら、巌谷さんのピントがぼけた焦点が合わない「文芸批評に典型な書き方」には辟易してしまいました。若い頃は経験値が無いからこっちのリテラシーが低いのだろうと思って無理して読んでいたのですが、50歳にもなると、文芸批評という作文の60年代的(70年代的?9作法というのもののレベルが実は大変低かっただけなのだということが分かってしまった。批評家の勝手な空想や独白で延々升目を埋められても、読むほうは苦痛なんですよね。それにSNS(ソーシャル・ネットワーキング。サービス、MIXIやGREEです)やCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア、まあブログなんかですね9で、そのての独白は溢れ返っているので、お金を出して紙媒体で、つぶやきなんか読みたくないですよ。
 逆に先のコラムで触れた雑誌ストレンジ・デイズもけっこう昔風の編集スタイルだけど、ロック音楽批評は、本人取材(英国人であれ米国人であれメールでも出来ます)による一次資料(ま、証言ですな)などもふんだんに採用され、それを元に解析が加えられているので、昔とはまったく違う次元に達しています。70年代の水上はる子=ミュージック・ライフ式みーちゃんはーちゃん記事か渋谷陽一式素人くさい文芸批評真似たロック批評的マスターベーションしか選択肢が無かったんですけどね。ユリイカはそれら70年代のロック雑誌よりは何倍も高尚でしたが、進化しないまま30年経ったら、化石になってしまったようです。
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俺、南進して 読了

町田康ファンを自認しておきながら「俺、南進して」(1999年)を角川文庫になって初めて読みました。多分フォト小説で値段が高いのと10年前では町田ファン度がまたあまり高くなかったから、新刊時にパスしたのでしょう。ただ文庫版にしても2008年の9月に出ているので、これまた半年遅れ。最近本屋の単行本コーナーも文庫コーナーも、昔風で言う週間小説、つまりミステリや直木賞系列、ケータイ小説、タレント本などばっかり。純文学は日陰もの扱いなので、新刊、文庫本新刊でも平台に並ばないことがあるため見過ごすことも増えそうです。 自分自身でも芥川賞新刊はもうずっと読まないので、確かに直木賞系やミステリ、アクションなど、「定型フォーマットをベースに連作されるノベル」でないと、読む前の抵抗感が大きい過ぎて楽に読めないことは分かりますが。
 さて内容は、句読点の脱関節式の町田節で語られる、自分追跡の悪夢無サンバ。しかも写真家アラーキーとのフォト・コラボ。文庫本は解説が内田春菊なんで、版形が小さい分を補填します。
 アラーキーは私の大学のOBとしては例外的な有名人なんですが、本人は余り語らないし、実は私も昔からこの人の写真が好きじゃない。どろどろとした猥雑さをこれでももかと演出する技法は、人間に対し表面的にしか理解できない私には重すぎるんでしょうね。ただ町田ワールドとの融合はかなりうまくいっているようで、写真が先か、文が先か、混淆状態に仕上がっています。

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2009年3月11日 (水)

池上永一「シャングリ・ラ」読了

すでに「テンペスト」の単行本が書店の平台に乗っている時期なんですが、逆に相乗効果での販売のため旧作「シャングリ・ラ」が文庫になったので、はじめて池上永一という人の小説を読みました。
 文庫本の表紙がペ-テル・ブリューゲルの「バベルの塔」で目を引いたのと
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、解説を筒井康隆大先生が書いておられたことから買ってみました。あとで気が付いたのですが、単行本時代は表紙がマックス・エルンストの最高傑作「雨後のヨーロッパ」だった。
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この作者、シュールレアリスムファンなんでしょうか。ただこのときは嫌いなライトノベルごときがエルンストを表紙に使うなぞ、しゃらくさい、と思っていました。
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アマゾンの解説を引用すると「21世紀半ば。熱帯化した東京には巨大積層都市・アトラスがそびえていた。さまざまなものを犠牲に進められるアトラスの建築に秘められた驚愕の謎とは--? まったく新しい東京の未来像を描き出した傑作長編!!

加速する地球温暖化を阻止するため、都市を超高層建造物アトラスへ移して地上を森林化する東京。しかし、そこに生まれたのは理想郷ではなかった!CO2を削減するために、世界は炭素経済へ移行。炭素を吸収削減することで利益を生み出すようになった。一方で、森林化により東京は難民が続出。政府に対する不満が噴き出していた。少年院から戻った反政府ゲリラの総統・北条國子は、格差社会の打破のために立ち上がった。」
 感想を一言で言えば、暇つぶしエンタメとして私としては十分に楽した。
文庫本解説の筒井先生がこの作品の長所であり短所でもある「すべてにおける過剰さ」を指摘されているので、まさにその通りなんですが、いっぽうもともと雑誌『Newtype』に連載されていたらしく、まごう事なきライトノベルである。主人公は女子高生だし、話は「アキラ」の世界観に「ナウシカ」ばり女子高生ヒロインが出てくるし、ロジックが破綻すれば荒俣宏「帝都物語」の怨霊で辻褄を合わせてしまうという、荒唐無稽なストーリー展開。ライトノベルたコミックの世界ではこういうのはお約束として当然なんでしょう。「銀魂」とか「ナルト」のような時代劇とSFがごっちゃになるだけで違和感を覚えてしまうような私らおぢさんには、ここらへんがつらいところ。ただし炭素経済、カーボニストという、ちょっと村上龍ばりの近未来経済小説的な仕掛けがベースになっていることと、あともうひとつ、圧倒的なスピード感には酔えます。稚拙でご都合主義的なストーリテリングとこの疾走感や部分的な先進性を差し引きして「私についていえば、エンタメとして十分楽しめた」と書いた訳です。
 なにかこういう方法論で似ているものが有ったような気がする?と思ったのですが、それはアメリカはFOXのTVドラマ「24」でした。もちろんあっちのほうがデティールにおけるリアリティはすごいのですが、ご都合主義的ストーリー展開(主人公は何度も死にそうになるは、同僚も恋人も次の回には敵になったり等々)を、圧倒的なスピード感で見せ切ってしまう方法論がそっくりなんですね。なんでも09年春にはアニメ化されるらしいので、さもありなん。ですね。
 小説としては筒井康隆先生もご推薦の「テンペスト」文庫化に期待しましょう。

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2009年3月 8日 (日)

吾妻ひでお「地を這う魚」

あじましでお先生の新刊です。あじま先生、生きているのだけでも嬉しいのに新刊も読めるなんてなんと素晴らしいことでしょう。ですからこれ以上のことを望んではいけませんですね。
             
               
 日記シリーズのネタも尽きたというか、「うつうつひでお日記」、「うつうつひでお日記 その後」によれば2005年頃から描き始めたようで、あずま版「まんが道」です。ただしストーリーは大変つまらない。登場人物=北風6人衆が「まんが道」と格が違うんですもん。結局4人はプロになれなかったか既にリタイア。いまだ現役なのは松久由宇さんだけだそうですが、昔から実名が出ていても私はこの人の漫画を読んだことがありません。マイナーですよね。いちばんマイジャー(byいしかわじゅん)なあじま先生にしたって、アル中で蒸発&ホームレスですからねえ。
しかし描き込みの密度はすごいですね。とてもドグマチール、ノリトレン、メレリル、ベンザリン、トリプタノール、ダルメートなどを常用しながら描いているとは思えません。「どど」「ぐずり」などの新キャラクターのほか、魚系、爬虫類系の生物が空間に増殖しています。もしかしたらSF深読みオチがあるのかもしれませんが、ハードSFファンでない私にはどうせ分からないので、ただ絵を楽しみました。登場人物は大半が擬人化ならぬ擬人動物化しています。日記系の本でも触れていた秋田書店の少年チャンピオン <鬼の>壁村編集長はゴリラになっています。一方、これらの丸っこいキャラと「ときめきアリス」系のダークなテイストが混在しているのがいまひとつ中途半端な感じではあります。ああ、いかん、あじま先生の作品は読めるだけで幸せなのに、こんなことを書いたら罰があたってしまいますね。

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2008年3月19日 (水)

なぜ汐留が気持ち悪い街なのか-新・都市論TOKYO

建築家の隈研吾の著作「新・都市論TOKYO」を読みました。
私は高校時代は一瞬建築学科を目指したことも有り、また大分昔、商業建築というか有体にいえば店舗内装の発注側だったこともあり、バブル時代までの、いわゆる「ポストモダン建築」までは同時代的・職業的関心があったのですが(高松伸大好き!)、ここ10年、日本の建築のトレンドにはまったくついて行けてなかったのです。
 しかし東京一極集中的再開発を、いち生活者として見たり買物したりするなか、どうしても(こないだまで持ち株会社が有った)汐留にいく度、なんだか生理的に寒々した気分に陥るのでした。昨年リタイアされた電通のクリの知り合いも、「所詮新橋なのに飯食うだけでもかっつけて嫌なとこ!」と嘆いておられました。
 六本木ヒルズは祝祭空間としてけっこー好きなんですが、おなじ六本木でも東京ミッドタウンはあんまりイケテナイ気がする。この生理的感覚の差異はなんだろう、単にバブルが終わって「ポストモダン的/俺が俺が自己主張型建築デザイン」が終焉し、街や環境と調和するため、たてもの自体のデザインがおとなしくなっただけなのか、ずーっと腑に落ちないままでした。
 その疑問がこの隈さんの本を読んで氷解。目から鱗でした。
つまり東京の(いや世界中の大都市はほとんど)、都市再開発はビジネスベースでのリスクヘッジのため、かつての国という公権力やパトロネーゼによる個人の思想と個性を持った開発、というものが不可能になってしまったためなのだそうです。隈さんは、ヒルズや東京ミッドタウンのPJにもかかわっているのですが、単なるデザイナーとしてだけではなく、そういったビジネススキームにも精通しておられ、シニカルな視点と冷静な観察眼を持って、汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田!、北京を語っていきます。各再開発に通底するのはテーマパーク型フェイク都市設計手法。ヨーロッパの石ばっかりの城塞都市や日本の京都が美しく調和しているのは、建築の技術的限界から選び得る手法が単一だったからこそだそうで、21世紀の建築技法であれば、それこそ無限と思えるデザインの選択肢が設計者には可能なんだそうです。いっぽう現実の都市は整合と不条理、聖と俗があいまって構成されるものであり、統一的環境における異化空間を楽しむには、都市外部のテーマパークという仮想都市にいかねばならない。そのテーマパーク手法を都市内部の再開発に持ち込んだのが資本の論理だというのです。この擬似ユートピアはしかし当然ながら、生活感を排除した「住む街」にはなかなかなり得ません。
 六本木ヒルズは地元住民がタワーマンションに住んではいますが、基本、おのぼりさんが遊びにいく祝祭空間であり、また少し前のヒルズ族に代表される一種のニューエリート層が働く場所であった訳です。その意味では私もあの迷宮が嫌いでない。いっぽう汐留は仕事でいく場所であることが個人的には六本木と異なる。さらに汐留は元国鉄跡地とはいえ、六本木の森一族や、丸の内の三菱地所グループのような一社独裁的開発ができる時代ではなく(失われた十年の初期に開発が始まった)、リスクヘッジのため、あの貨物操車場を細かく分圧して土地を売った(正式には売ったんではないかもしれませんが)ため、各地主がてんでばらばらな向きに箱型ビルを建てたため、無残な不整合都市が生まれてしまったということらしいです。 一軒一軒の建築デザインは悪くないのに、総体としててんでばらばらになってしまったのですね。
 一方六本木ヒルズと丸の内の差異については隈さんによれば、森ビルの森さんという個性と、三井三菱のような名門財閥でない遅れてきた起業家としての意地みたいなもんが結集して、あの磁場を作ったんでしょう。じゃっかん堤泰次郎とか後藤慶太の現代版みたいな御仁なのかも。知人が術森ビルに中途入社したんですが、森教の教祖さま、と言ってましたもん。 例の当社で問題になった、森さんがキャットウォークから俯瞰して次の戦力を練るために見るという、東京23区のジオラマ模型にしても、ヒトラーに仕えた建築家・アートディレクターにして能吏のアルベルト・シュペーアを彷彿とさせるものが有ります。

 隈さんが町田を評価するのは(秋葉原も評価してます。また町田で無く溝口でも多分同じでしょうが)、商業集積と市民生活と風俗などの裏町がごった煮になっていて、生活観と都市のバイタリティーが感じられるからとのこと。これが建築家の意見か?とびっくりしてしまいますが、しかしあえて斜に構えてシニシズムで言っているのではなく、中目黒育ちという出自に影響されているようです。そもそも都市と村が隣り合っていた戦後の都市近郊では町田的「ムラ状態」は当たり前だったのでしょう。その点私個人は、生まれは世田谷でも育ちがもっともっと郊外の公団住宅なので、いわば殺菌状態タウン育ちなので、町田の猥雑さはNGなんです。東急目蒲線沿線育ちの知人が、賃貸の時点では田園都市線の鷺沼に住んでいたのですが、あの一種乙にすましたハイソでござい、という街の雰囲気が嫌で、溝口にマンションを買ったので、隈さんの感触も同様なんだろうな、と想像しています。
 最後に隈さんが可能性を感じるのが北京。まあ発展途上の熱気とエネルギーでは、老成しつつある(いや、老成ではなく単に枯れてきただけか)の日本とでは、ある意味勝負にならない気がしてずるい、とは思いますが、古典的農村の「村」ではない、地縁的「ムラ化」という時間のかかるネットワーキングをベースにした、都市の熟成という方法論だけは、わが国でもまだ「いい街」が出来える唯一の可能性だ、という結論はむべなるかな。
 いずれにしても、本物のセンスと知性から発した書物との遭遇というのは心躍るものですね。
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%83%BB%E9%83%BD%E5%B8...
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ルイ・ヴィトンの法則

「下流社会」の正反対みたいな本。ふだんマスマーケティングしかお金にならない我ら広告会社ですが(だってTVCMとか不要だもん)、そもそもブランドというのは、この手のラグジュアリー・ブランドを指すべきであって、アメリカ流マーケティング用語のマス・ブランド、コモデティ・ブランドっていうのは欧州人には多分昔から馴染めなかったのではないかな、と思いました。歴史と職人技でいえばわが日本だって2000年以上の歴史があるのですが、手わざの世界は世界標準にならんし、老舗の食べ物は法規についていけてないし、コアコンピテンツは有るものの、ヴィトンのようにそれを世界的に(しかも日本市場をレバレッジにして)パラダイム変換できていないのが残念、というのが感想。
 ところで「下流社会」にもありましたが、年収200万の派遣社員さんの女性でもヴィトンのエピ持っていたりするのが、下層階級が無い日本の不思議さ(下流と下層の違いは同書参照のこと)。

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で、追加記事、どおしたんだ、ルイ・ヴィトン!
なんとキャラクターがキースです。
http://www.louisvuitton.com/
「ルイ・ヴィトンの法則」を読むと、アメリカ人のアーティステイック・ディレクター、マーク・ジェイコブスがプロダクトだけでなくコミュニケーションの要とあるので、彼の戦術なんでしょうか 。
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2008年3月 3日 (月)

クール・ジャパン 世界が買いたがる日本

2006年の2月に出た本ですから、2年ほど経っていますが、未読でした。

アマゾンの「出版社 / 著者からの内容紹介は以下のとおり。
日本を救う「新文化産業」の未来とは!アニメ、ゲーム、映画、フィギュア……
今、「メイド・イン・ジャパン」は世界最先端商品だ!
デジタルで統合が進むコンテンツ・ビジネスを国際マーケットでどう育てるか。
<文化と技術の融合した「新産業」が、これからの日本を牽引する(本書まえがきより)>
マンガやアニメをはじめとした日本のポップ・カルチャーが「クール(COOL=カッコいい)だ」と海外で高く評価され、大人気である。日本政府も、マンガやアニメ、映画、ゲームなどの「コンテンツ」が国際的に競争力を持ち、将来性も期待できる「売り物」であるとして、「知的財産戦略本部」を設置した。
これまで新聞、出版、放送、音楽、映画、ゲームなど、それぞれが独自に発展してきた産業は、デジタル化によって融合しつつあり、通信や電機、自動車などあらゆる産業も横に串刺しして再編する「コンテンツ産業」が出現しようとしている。まさに文化と技術の融合した新産業である。
この新産業が、少子高齢化や国家財政の行く末に不安を感じている現在の日本を、新しい次元へと牽引することは間違いない。                       

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 視点として、ドメスティックな生活をしてる私にとって新鮮だったのは、アメリカやフランスなど海外から見た日本の漫画、アニメ、ゲームのポジショニング。ワンアンドオンリーの津強みをもつ一方、アメリカ式の強欲なビジネスに徹していない弱みもはっきり判ります。「マッハGO!GO!GO!」が未だにアメリカで人気なんて、露も知りませんでした。聞けば日本の閉鎖的TVネットワークと違い、あちらはケーブルTVがあるので、昔から多チャンネル、のべつコンテンツ不足なんですね。広告業界的には、日本式視聴率がアメリカでは意味をなさない原因がケーブル。ネットワークだということは知っていましたが、それがコンテンツ不足といところまで想像力が及びませんでした。やはり井の中の蛙なんですね。

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2007年11月12日 (月)

下流社会 第二章

仕事用の本でありながら、充分エンタメ性もあった本の続刊。最初の本では、サンプル数が200人以下の調査資料も多く、あまりの母集団少なすぎでさすがのこの結果、有為とはいえないんじゃないの???と おもわずツッコミたくなる部分が散見されましたが、こんどはお金も出来たでいか、ネット調査でN数も増え、知名度アップのせいか、大手新聞社のデータも流用して、その対策万全です。
 そもそも、この本、著者がデータ解析の結果だした推論なのはなく、豊富なフィールドウォッチなどの知見(なんせ、定点観測で有名なアクロスの元編集者)を、データで補強した結果な訳です。
 これはワタシのつとめている広告会社においては、クライアントへのプレゼンテーションの常道であり(データ解析しかできないマーケッタは頭いいとは認められない)、その意味では、思わず膝をポンと打つような本だったわけですが、それがベストセラーになるとは思いませんでした。グラフ多すぎだしね。
 いっぽう飛行機ファンの感覚で言うと、三野何某さんの、カタログ・スペック・データのみで戦闘機の性能の優劣を語る本が有りましたが、それの社会版といえば分かりやすいかもしれません。
 こんかいは雑誌とクラスター分けがあって、サピオなんか右翼雑誌ときめつけ、それを読む層と、同時に嫌韓、嫌中が多いのが、25-35歳のロスト・ジェネレーション中心というのは、良く分かります。やっぱり不満の捌け口は仮想敵国向けが一番効果的なんですね。
 あとはしかし、いわゆる勝ちパターンは、男も女も正社員で働き双方の収入を得るパターンという結果は、当たり前のことですね。一冊目を読めばやはり二冊目は無理して読まなくてもいいかもしれません。私自身は通勤の友にはなりましたが。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_fb/249-6198545-6201127?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Denglish-books&field-keywords=%89%BA%97%AC%8E%D0%89%EF&Go.x=1&Go.y=7

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2007年1月18日 (木)

真実真正日記 読了

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敬愛する町田康の新作です。凝縮された異界のごとき小説作品群だけじゃなく、ここ最近はライトエッセイやテープ起しモノもあったので、最初はこれも「日記」とあるのでエッセイと思い込んでいました。文庫にでもなればエッセイでも買おうかと思いますが、単行本じゃ高くてパスしてるんです。

 「真実真正日記」は「告白」などに比べると、やるせない町田節が比較的薄く、肩が凝らずに読めます。日記といいつつ完全フィクションなんですが、いっぽう少しだけ本人の自伝的要素も混じっているのでしょう。主人公が結成するバンドが「犬とチャーハンのすきま」という名前なんですが、これ「INU」に通じるものが有るのでは?

 さてしかし、近所の本屋といえば東急百貨店内のテナント有隣堂(神奈川県の大手チェーン)しかなく、ここの品揃えは見事にファミリーユース。従ってミリタリーものはもちろん、純文学も大層少ないんです。あるのはミステリとか育児とかファッション誌ばっかりなんです。そんな中で私のような偏屈が読めるのが06年末では「真実真正日記」しか有りませんでした。リリー・フランキーとか宮部みゆきとか、イマドキの流行ものの小説でいいならたくさん置いてあるんですけどねえ。若い頃は自分が進歩的と勘違いしていましたが、中年を過ぎると、単にマイナー志向だけで、マイナーの中のコンサーバティブだったことに気がつきました。オールドタイマーのマイナー志向だと、そりゃあそもそも大勢に背を向けていたことに加え、どんどん時代から取り残されていく訳ですね。村上龍、村上春樹のW村上も新作が減り、池澤夏樹は欧州へ行っちゃうし、吉村萬壱は売れないからか新作が出ないし。そうそう昨日発表された芥川賞は若い女性でしたね。本屋大賞の仕掛け人の方とお話しする機会が有りましたが、広告屋としてはすごい!やられた!と思うんですけど、小売業者が売りたい本って、所詮はメジャーでライトな消耗品じゃないか、と一方の私は思ってしまうんです。

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2006年12月 4日 (月)

スノウホワイト グリムのような物語

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コミックの世界の奇才・諸星大二郎の新刊。前作「トゥルーデおばさんの進化形といえる、グリム童話の諸星版変節。前作ではそこらへんが消化不良気味だったものが、今作では謎は謎のまま放り出したり、白雪姫は大胆な新解釈(諸星さんが初めてかは知らないが)で思わずやられた!といった具合に、ずいぶん柔軟かつ流麗な解釈になっています。おすすめの本ですね。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4488023916/sr=1-1/qid=1165167917/ref=sr_1_1/503-0456491-8929509?ie=UTF8&s=books

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